聞こえる、恋の唄
■■
第二章
「残酷な運命」
………<1>………

「志野、薫様がお呼びよ。また三味線の稽古じゃないの」

針仕事をしていた志野は、一瞬肩を震わせたものの、すぐに平静を装って立ち上がった。

声をかけてくれたのは、住み込み女中の里代(さとよ)である。

年は、志野よりは二つ、三つ上の二十五歳くらいだろう。

ただし、外見は三十を過ぎて見える。乾燥肌のせいか、妙に皺の多い、金壺眼の女である。

志野に向けられる性格も、外見に負けないくらい陰湿で意地悪い。

「すいません、十時までには戻りますから」

頭を下げて、志野は縫いかけの着物を片付け始めた。

里代はふん、と鼻息を吹いて腰を下ろし、御園が差し入れてくれたふかし芋を口に放り込む。

盆に一切れだけ残っていたのは志野のものだが、むろん志野に、文句を言うつもりはない。

「貴族様のお屋敷ってのは優雅だねぇ。こんな時間に三味線のお稽古ですか」

不意に、背後から厭味な声が掛けられた。

新参女中の琴絵である。

やはり着物を繕っていた琴絵は、顔を上げないままで続けた。

「うちの田舎じゃ、夜中まで三味線じゃかじゃかやってたら、すぐに憲兵にひっぱられちゃうけどサ。すごいよねぇ、やっぱり貴族様は特別なんだねぇ」

「あんた、何が言いたいのさ」

芋の小鉢を押しのけた里代が、凄味を帯びた目になって琴絵を睨む。

琴絵は笑って肩をすくめた。

「徴兵制度ってのはあれだね。要は貧乏人から戦争に借り出される仕組みなんだね。聞くけどさ、ここのお坊ちゃまは、どこか身体でも悪くしてんのかい?」

それが、二十歳過ぎても入営しない、櫻井家の長男に対するあてこすりだというのは明らかだった。

「あんた、それ以上言うと、この家にいられないようにしてやるよ!」

立ち上がった里代が、袖をまくって怒鳴りつける。

けれど、里代より一回り大柄で、顔つきもどこか男じみた琴絵は、わずかも動じずに古参女中を睨み返した。

「この家がなんだってんだい。やれるもんならやってみな」

「なんだと?」

「世間じゃみんな噂してるよ。この屋敷はアカ屋敷で、薫様は、爵位の力で徴兵から逃げてるんだって」

「なんだってぇ?」

睨みあう二人の間に、慌てて他の女中が割って入る。

ぺっと土間に唾を吐き、先に部屋を出ていこうとしたのは琴絵だった。

その背に向かい、里代が拳を振り上げる。

「あんた、出て行きな、この屋敷からとっとと出て行きな」

「ええ、ええ、出て行きますよ、アタシは忠君愛国者ですからね」

吐き棄てるように言う琴絵が、先月十七歳の弟をガダルカナルで亡くしたばかりだったことを、志野はようやく思い出していた。



>next >back >index
HOME