聞こえる、恋の唄
■■
第19章
「真実の二人」
………<3>………

「それから……ずっと、考えていた。お前が俺の傍にいることの意味や、お前が今まで俺にしてくれたことを……考えていた……」

「目は」

唇を震わせながら、かろうじて志野は言った。

「では、その時からずっと……見えていたのですね」

「時々見えたり……見えなかったり、その繰り返しだ。ようやく視界がはっきりしてきたのは、ここ十日くらいのことだ。それも一時のことで、また見えなくなるのかもしれない」

「病院に行ってください」

もの言わず、雅流の腕が、志野を強く抱きしめた。

息苦しいほどの体温に包まれながら、志野はうわ言のように繰り返した。

「お願いです、病院に行ってください。きちんと手術を受けてください」

「俺は莫迦だった、まさか――ずっと傍にいた女が、お前だとは夢にも思わず、ただ三味線だけに心を奪われていた」

「奥様のためなのです」

もう抵抗する力はなかった。
それでも言葉で、志野は彼に抵抗した。

「私はただ、奥様のお手伝いをしたかっただけなのです」

「俺もそう思った、だから、ずっと迷っていた」

「あなたが迷う必要などないのです、私は」

「お前は嘘までついて、俺の傍から消えた。それにも、何の意味もないと言えるのか」

「……奥様を」

 悲しませたくなかっただけなのです。それだけなのです。

繰り返しながら、志野はいつしか嗚咽をもらし、泣いていた。

「俺ももう限界だった。だから高岡まで行ったんだ。真実を聞きたかった、お前がこの六年、何をして過ごしてきたのか」

志野は首を振った、振りながら泣き続けた。

「俺はもう決めた、今度こそお前を俺の妻にする。母さんにもそう伝えた。今夜、母さんは帰らない、鞠子のところに泊まって帰る」

「……お、お願いです……」

夢のような言葉だった。
今までの苦労も辛さも、悲しみもやるせなさも、その瞬間溶けて消えるようだった。

それでも志野は、それでも首を――横に振らなければならなかった。

「そのようなことを、仰らないで……私を……苦しめないで……」

「お前がここを出て行くのなら、俺は医者になど決して行かない。このまま再び、何も見えなくなった方がましだから」

「………雅流様……」

束ねた髪に――雅流の指が触れている。
何度も優しく撫でてくれている。

せきあげる涙で、もう呼吸が苦しかった。

「それでも……それでも、私は」

「言ってくれ、志野、一言でいい、俺を好きだと言ってくれ」

「いいえ、いいえ」

「志野……言ってくれ」

「いいえ、いいえ」

「言ってくれ、志野」

「…………」

ぐっと、強い何かが込み上げて、志野はその一時、狂おしいばかりの激しさで目の前の男を抱き締めた。

「好きです、あなたが好き、大好き」

多分――最初から、最初にこの人の音色を聞いた時から。

御園に「志野をお手本にしているのかしらねぇ」といわれた時、志野はようやく理解したのだった。

彼が私の音色を真似ているのではない、その逆で――私が、彼の音色に惹かれ、音を極める道にのめり込んでいったのだと。

「でも、一緒にはいられない。例えあなたが忘れても、私にはどうしても忘れられない。私は、何度も、あなたの前で浅ましい姿になりました。それが――どうしても忘れられない。大切なあなたの妻が、こんな汚れた女であることが、……私には耐えられない、我慢できない!」



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