■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第19章 「真実の二人」 |
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「お入り」 襖を叩くと、中から静かな声がした。 志野は静かに襖を開け、廊下に座ったままで、両手をついて頭を下げた。 雅流は、さきほどまで演奏していた三味線を膝の上に置き、袂から布巾を取り出しているところだった。 外出から帰った時の洋装から、静かな色合いの和服に着替えている。 そして――三味線を丁寧に拭きながら、穏やかな声で雅流は言った。 「母さんのことなら、心配しなくてもいい。家に帰る前、姉さんには俺が電話しておいた」 何もかも、見透かしたような言い方だった。 志野は、動かなかった。 無言で顔を上げた雅流の目は影で覆われ、その顔がどんな感情を抱いているのか、読み取る事はできない。 志野は躊躇し――けれど、確かな決心を固め、膝で、雅流の傍ににじりよった。 雅流は気配に驚いているのか、わずかに眉を上げている。 二畳分の間をあけ、そこで膝を止めた志野は、両手をついて頭を下げた。 「志野で、ございます」 自分の声が震えていた。 「奥様に呼ばれ、今日、急ぎ高岡からまいりました。お久しゅうございます」 雅流の返事はない。 動く気配さえない。 震えだす指を懸命に堪え、志野は続けた。 「お察しいただけますでしょうが、本当は来たくなぞございませんでした。奥様からご事情をお聞きし、夫がどうしても、と言うから出向いたのです。私どもの……立場をお察しくださいませ。大恩ある奥様の願いを、どうして私たち夫婦が断れましょうか」 答えない雅流の、膝だけが志野には見えた。 息を吸い込み、志野は唇を噛みしめた。 「奥様は、何か誤解しておられるようですが、こうなっては、雅流様が私に約束なさるまで、私は夫と子供の元に帰ることはできません。私を憐れと思うなら、少しでもご自分の罪を罪とお認めになっておられるなら、どうぞお約束くださいませ。目を」 「夕飯は作ったのか」 唐突な声だった。 志野は驚いて顔を上げていた。 「高岡が丹精こめて作った野菜だ、痩せすぎのお前のことを案じていた」 「………」 雅流の顔を見つめたまま、志野は――身体を強張らせ、言うべき言葉を、いや、とるべき態度を考えていた。 |
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