■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第18章 「聞こえる、恋の唄」 |
………<3>……… |
そんな、莫迦な。 志野は、声を立てずに驚愕していた。 「今日も病院へ行く途中、あの子はそう言って車を降りてしまったのです。目も見えないのに、……一人で、いったい何処へ行ったのやら」 「雅流様は大丈夫です。しっかりしておいでですから」 動揺したまま、それだけしか言えなかった。 今のままで……いい? いくら三味線のためだと言っても――信じられない、その考えは理解できない。 いったい彼のために、この老いた母親が、どれだけの苦労を重ねてきたのか――雅流様は本当に理解しているのだろうか。 そして、指を何よりも大切にしなければならない三味線奏者として、やはり視力はないよりあった方がいい。 先日の湯沸しの件といい、この先、何が起こるか判らないのに――。 「志野……」 肩を強く抱かれ、志野ははっとして我に返った。 「お前しか、もう私には、お前しか頼る者はいないのです。本当のことをいいます。雅流の縁談は、とうに破談になっているのです。いったん自分で了承したものを、あの子は、四方八方に土下座して自ら断りに回ったのですよ」 目の前が暗く陰るのを志野は感じた。 「どうして……」 どうして、そんな。 「……私は愚かでした。雅流の時雨西行なら……何年も前に聴いていたのに」 囁くように言い、御園は老いた目から涙を零した。 「お前は気づかなかったのですか、雅流の弾き方に独特の悪癖があることに。何度も厳しく言って叱ったものを、雅流は何故直そうともしないのでしょう。あれはお前の弾き方なのです。いえ、今のお前には決して弾けない、昔のお前の弾き方なのです」 志野はよろめき、背中を壁に当てていた。 雅流の時雨西行に、妙な癖があることは六年前から知っていた。 ただ、それが、自分の弾き方だったとは、夢にも思っていなかった。 「あの夜……、私は、ようやく、判ったのですよ」 涙で潤んだ目で、御園は志野の両手を握り締めた。 「あの子の情は、私が思うより遥かに深い所にあったのです。雅流はね、志野、今でもお前のことが忘れられないのです」 |
>next >back >index |
HOME |