聞こえる、恋の唄
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第18章
「聞こえる、恋の唄」
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翌日は朝から小雨が降っていた。

午後になり、ひそかにまとめた荷を押入れの中から出した時だった。

雅流と共に病院へ行ったはずの御園が、ふいに背後に現れたので、志野は鞄を足元に落としたまま、立ちすくんでしまっていた。

「奥様」

けれど、振り返った志野は、思わず声を上げていた。

襖にもたれるようにして立っているのは――御園である。

が、その顔色は蒼ざめ、髪は乱れ、まるで死人のように見える。

着物は着崩れ、肩にかけたショールが脚元まで垂れ下がっている。

「志野……お前に、……無理を承知で、頼みが、あります」

駆け寄る間もなく、その場にがくりと膝をつくと、御園はきれぎれの声で言った。

「奥様、どうなさったんです」

これは、ただごとではない。

今朝、あれほど喜んで家を出ていったはずの御園が、どうしてこんな。

志野に抱きかかえられると、御園はようやく面を上げた。
その目にうっすらと、滲むものがある。

「雅流に……あの子に、手術を受けるよう、お前の口から言っておくれでないか。あの子を説得できるのは、志野、もうお前しかいません」

「え……?」

言われている言葉の意味が、よく理解できなかった。

「……それは」

どういうことなのだろう。

何故――目を見えるためにする手術に、説得などがいるのだろうか。

混乱したまま、口ごもっていると、御園は辛そうに目を逸らした。

「お前が、雅流の目が見えるようになれば、出て行くつもりなのは知っています。いえ、今だって出て行く用意をしていたのでしょう。……それを承知で頼む私を、いくらでも恨んでおくれ。志野、雅流は今のままでいいというのです。三味線を極めるためなら、視力などいらないというのです」



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