聞こえる、恋の唄
■■
第17章
「触れあう鼓動」
………<4>………

「お前を縛ることはできないとわかっていますよ、でもね、やはり雅流の式の日までは、ここにいておくれでないか」

御園にふいに言われたのは、その夜からいくらもたたない午後のことだった。

多分――志野の態度にも表情にも、あからさまな憂いが出ていたのに違いない。

女主人に気を使わせてしまったことが申し訳なく、志野はただ、申し訳ありません、とだけ繰り返した。

雅流は、朝から稽古場にこもりきりで、三味線を奏でている。

流れるような旋律が、向かい合って座る二人の女の耳にも響いてくる。

「あらためて……」

ふっと息を吐き、御園はわずかな苦笑を浮かべて呟いた。

「お前には、謝らなくてはならないと思っているのですよ、志野。六年前も、今も、私がお前たちの気持ちを理解できないばかりに、結局はお前一人を傷つけてしまったようで」

「とんでもないことでございます」

「六年は……」

遠い目になって、御園は笑った。

「私のような年寄りには、わだかまりを流すには短すぎる年月ですけど、雅流のような若い者には、十分な時間だったのですねぇ」

無言のまま、志野は頷いた。

あれから数度部屋に呼ばれ、いつものように稽古をしたが、雅流の態度は全く普段と変わらないものだった。

ただし、志野の警戒を察してか、態度は少しばかり他人行儀で、砕けた笑顔をみせることもなかったが、違いといえばその程度しかなかった。

「私が……奪ってしまったのですねぇ」

寂しそうに呟く御園の手を、志野はそっと握り締めた。

御園の目は潤んでいた。

「許しておくれ、志野。私は、雅流が本心でお前を望んでいるのならば、何をしても信楽との縁談はお断りするつもりでした。本当です。私も武士の家に生まれた娘ですから」

「わかっております」

志野は頷いた。

「ただ私は、それを望んでお傍にいるのではないのです」

御園もまた、頷いた。
枯れた指で涙を拭った。

「何度聞いても雅流の意思が固いので、私もあきらめがつきました。言ってはいませんでしたが、明日が正式な結納です。婚礼は来年の三月頃になるでしょう。江見さんが女子大を卒業されてからということになりそうですから」

「本当に、おめでたいことだと思います」

気持ちにも言葉にも、嘘偽りはわずかもなかった。

例え何があろうとも、志野が雅流の前に出て行くことはできない。

金銭的にも物理的にも、手助けすることは絶対にできない。

その役目を他に託すなら、これほどいい縁談はまたとないもののように思われた。

(これでよいのだ。これほど幸せな結末はない)

志野は自分の胸に、再び頑なな鍵がかかるのを感じていた。

だったら精一杯お世話をしよう、こうしていられるのも……本当にあとわずかなのだから。


>next >back >index
HOME