聞こえる、恋の唄
■■
第17章
「触れあう鼓動」
………<3>………

どういうこと?

動揺と混乱で、息もできないほどだった。

ただ、抱き締められるままになりながら、志野は顔さえあげられなかった。

これは――どういうことなのだろう。

この抱擁に、いったい何の意味があるのだろう。

何かの間違いだ。
そうに決まっている。

志野は自分に言い聞かせ、控え目に身をよじる。

拒否の意思表示のつもりだったが、さらに強い力で、その動きは封じられる。

ますます判らなくなり、雅流の顔を見ようとする。
けれど、腕はそれさえ許さない。

さらに強く抱きしめられ、耳元に、男の吐息が触れる。

(雅流様……)

ふいに恋しさで胸が詰まった。

苦しい、辛くて――息もできない。

別れてから、どれだけ夢をみただろう。
もう、絶対に、二度とありえないことだと思っていたのに――。

けれど、我を忘れていたのは、夢を見ていたのは一瞬だった。

志野は激しく身をよじり、急いで手を二度叩いた、強く叩いた。

一瞬ひるんだ男の腕を逃れ、胸を押しのけるようにして立ち上がる。

「すまなかった」

やがて身を起こした雅流は、背を向けて立ったまま、呟いた。

声は、六年前、別れの日に聞いたものと、まるで同じように聞こえた。

「お前が」

雅流は言いかけ、わずかに躊躇して、うつむいた。

「……一瞬、昔好きだった人のように思えたんだ……。悪かった、もう二度とこんな真似はしない、許してくれ」

うつむき、込み上げる感情を堪えたまま、志野は手を一度叩いた。

動悸が、胸苦しく渦を巻く。

どうして、そのような錯覚をなされたのだろう。
もしかして、お気づきになられたのだろうか。

ひどく沈んだ横顔のまま、雅流は再び座敷に上がる。

彼が冷めた茶を飲み干すまで、志野はその場から動くことが出来なかった。

「ごちそうさま」

雅流が、両手を卓について立ち上がる。
はっと志野は身をすくませる。

気配を察した雅流が、表情を陰らせるのが判った。

「怖いか。……当たり前だな」

うつむいた志野の耳に、自嘲気味の声が聞こえた。

「三味線の音で……それで錯覚したのかもしれない。いや、錯覚というより、夢を見ていたんだ。……許してほしい」

志野は大きく息を吐いた。
今の感情をどう言い表していいのか判らなかった。

雅流もまた、憂鬱気な溜息を吐く。

「こんな不様な真似をした以上、お前が俺を恐れるのは仕方のないことだと思う。……だが、母さんは、お前だけが頼りなんだ。もう少しの間、傍にいてやってくれないか」

「…………」

「お前が言いにくいなら、俺の口から今夜のことを話してもいい」

慌てて手を二度叩く。
何度も叩く。

雅流が自室へ戻って、ようやく、志野はその場にしゃがみこんだ。

手足が、ぶざまなほど震えている。

落ち着かなければ――。

必死で自分に言い聞かせる。

気持ちの箍が壊れて、そして外れてしまえば、もう、ここにはいられないのだから……。



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