■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第16章 「雅流の婚約」 |
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「奥様」 その夜、憤慨収まらない御園の部屋で、志野は、静かに両手をついた。 雅流は黒川に呼ばれて留守だった。 鞠子も帰り、屋敷には二人だけが残されている。 志野は続けた。 「私はむしろ、あれでよかったと思っているのです。雅流様を責めるのはおやめくださいませ。悪いのは私なのでございます」 「けれど、志野」 御園は口惜しげに言い募る。 目にはうっすらと涙が浮いていた。 御園が怒っているのは、すでに雅流の縁談のことではない。 雅流の、あまりに冷淡な態度のことである。 「いいえ」 志野はきっぱりと首を振った。 「正直申し上げまして、奥様の優しいお気持ちがわかりますだけに、この家に居座ることに、ずっと迷いを感じておりました。最初にも申し上げましたが、私は、どうあっても、櫻井の家に嫁すことはできません。それだけはできません。どうぞ、私の気持ちをお汲み取りくださいませ」 「お前は、雅流のことを好きだったのではないのですか」 「おそれおおいことでございます」 志野は、さらに深く頭を下げた。 「私にとって、雅流様は主家のご子息、どうしてそのような感情を抱くことができましょうか」 「なれど」 「私が迷いましたとしたら、一重に、奥様を悲しませたくないという、ただ、それだけだったのでございます」 「それでも薄情すぎますよ、あの子は、もう少し情のある子だと思ったのに」 「悪いのは私なのでございます」 まだ言い募る御園に、志野は、強い口調で繰り返した。 確かに雅流の口調は冷たかった。 御園が薄情だと憤る気持ちもよく分かった。 けれど、不思議なほど、自分が恨まれているという気はしなかった。 身勝手な思いかもしれないが、むしろ彼は、私のためにあのようなことを言ってくれたのではないかとさえ志野は思った。 |
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