■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第16章 「雅流の婚約」 |
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「しず」 はい、と思わず答えてしまうところだった。 それほど、雅流の呼び方は自然だった。 「もしよければ、これからもずっと、母さんの傍にいてはもらえないか」 志野は黙って、眉を寄せた。 自分の進退については、すでに思いを定めている。 いつまでも雅流を騙しとおせるはずはない。 なるべく早いうちに――と思いながらも、志野が躊躇しているのは、最近めっきり元気のなくなった御園が気がかりだからである。 「母さんは、俺と一緒に暮らすことを望まないだろう。ふと言われたのだが、お前と一緒に三味線の教室をやってみたいと言っておられた」 (私と……) はっと胸が詰まるような思いだった。 志野はうつむき、瞬きをした。 奥様が、そこまで私のことを思ってくださっている。 「結婚は、まだ俺には早いと思ったが、黒川の家元が窮しているのでお受けすることにした。気がかりは母さんのことだが、それもお前がいれば、大丈夫だろうと思った」 うつむいたまま、志野は何も言えなかった。 そんなにまで、雅流に信頼されていることが、嬉しくもあり意外でもあった。 生涯、御園の傍に仕えるということは、志野の願いでもあり、本懐でもある。 が、同時に、雅流の人生とも離れがたい位置に居続けるということでもある。 それが――本当によいことなのか。 「母さんは、お前のことを随分大切に思っているようだ。俺が信楽に行けば、母さんは寂しがるだろう。お前がいれば、母さんも励みになると思うんだ」 そこで雅流は言葉を切り、ふと何かに気付いたような眼になった。 「以前も、母さんが、ひどく大切にしていた娘がいた」 志野は身を強張らせていた。 しかし、わずかに黙った後、雅流は息を吐くようにして笑った。 「返事はいつでもいい、ゆっくりと考えてくれ」 それきり、自分が言った言葉など、なかったかのように三味線を弾き始める。 (何を……仰りたかったのだろう) 一瞬、身体ごと強張るような不安に襲われたものの、志野はすぐに気を落ち着かせて、一礼してから立ち上がった。 いつものように、縁側に続く障子をそっと開ける。 冬晴れの一日で、陽射しは白いほど明るく、庭先に光の粒を降り注いでいる。 そうして振り返った時、初めて雅流が、どこか眩しげな表情をしているのに気がついた。 ――いけない。 視力がなくても、明暗は判るのかもしれない。 確かに今日の陽射しは目を射るほどにきついものだ。 志野は慌てて障子を閉めた。 襖を閉めて廊下に出ると、しばらく途切れていた三味線の音色が聞こえてきた。 その音に耳をすませ、普段よりわずかに乱れた旋律を多少気がかりに思いながら、志野は、こんな時間もあとわずかだと……自分を戒めるような気持ちで考えていた。 廊下の向こうから、けたたましい足音が聞こえてきたのはその時だった。 |
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