聞こえる、恋の唄
■■
第15章
「揺れる心」
………<4>………

切り口上な声で、江見は続けた。

「私でしたら、雅流様のお茶は少し温めにいたします。うっかり熱いものに触られたら、大切な指を痛めてしまうことがありますから」

「まぁ」

困惑気味に、志野を見たのは御園だった。

「私もよく言ってきかせていたのですよ。たまたま忘れたのでしょう。最近は、ずっと外向きの用事ばかりしていたようですから」

「その、たまたまが、命取りになることもございますわ」

御園の言葉を当てこすりと思ったのか、江見も譲らずに言い返す。

いけない――。

志野は慌てて、両手をついて頭を下げた。

こんなことで、御園に余計な心労を重ねさせたくない。

その時だった。

「茶のことなら、いいのです」

雅流の声がした。

「茶を熱くする代わりに、碗を冷やしておいてくれるのです。最初は気付きませんでしたが、おそらくそうでしょう。僕は、熱い茶が好きですから」

志野は、顔を上げることができなかった。

気づいてくださっていた――そのことさえ、言葉にできない驚きだった。

江見も御園も唖然としている。

「しずのことですが」

静かな口調で雅流は続けた。

「好みの問題かもしれませんが、僕には、この人の音があっているようです。お気遣いはありがたいのですが、しばらくはしずに、稽古を相手をお願いしたいと思っています」

江見が去り、御園が早々に床についた後、志野は久しぶりに雅流に呼ばれて稽古場に赴いた。

「この曲を弾いてみたいのだが」

差し出された譜面を見ながら、では――前の曲は完成されたのだ、と、志野はえもいえぬ感慨を噛みしめた。

「貸してごらん、糸が緩んでいるようだ」

爪弾いた志野の三味線に、雅流がそっと手を延ばす。

見えないはずの目が、確かに自分を見ているような気がして、その刹那、志野はふっと頬が赤らむのを感じていた。
もし、口がきけるのなら――。

志野はこう言いたかった。今日は、

「今日は、ありがとう」

志野は驚き、目を見開いている。
心を読まれたのかと思っていた。

雅流は目を伏せたまま、手元の三味線を膝に乗せた。

「お前が、母さんを気遣ってくれていたのがよく判った。気分の悪い思いをしただろうが、許してほしい。彼女も、悪気があって言ったのではないと思うから」

わずかに黙り、微笑して、志野は一度手を叩いた。

判っています。

静流の目元に、初めて柔和なものが浮かんだ。

「しずは、どこで三味線を習った」

雅流の中には、しずという女がいるのだと、志野はようやく気がついていた。

目に入っていなかったわけではない。心の底から無関心だったわけではないのだ。

「ああ、そうだな、言えないのか……もしかして、母さんだろうか?」

ためらいながら、志野は手を叩く。

「そうか」

雅流は、はっきりと笑顔になった。

「いい音だ」

志野もまた、わだかまりが解けたように、自然に笑顔になっていた。


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