■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第15章 「揺れる心」 |
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御園が倒れたのは、それからほどなくしてからだった。 幸い、風邪がこじれただけだろうと医師はいい、本人も一日寝ていれば治りますよと、いたって気楽なものだったが、年が年なのか、ふいに涼しくなった気候のせいなのか、二日たっても三日たっても、熱は一向に下がらなかった。 志野は殆んどつきっきりで看病に当たり、鞠子と綾女が代わる代わるに手伝いに来た。 雅流はしきりと母親の容体を気にしており、口が聞けない志野に代わり、鞠子や綾女が間にたって話をしてくれた。 鞠子も綾女も、不思議なほど志野に同情的で、綾女などは時折そっと涙を拭うほどだったが、いきなり家の中に現れた女二人の存在は、志野に、寂しい事実を否応なしに再認識させたのだった。 (私では、いざという時、雅流様のお役にはたてない……) 例えば鞠子のように、綾女のように。 なんの躊躇もなく話ができて、手を取って身体を支え合うことができる、そのような人が、今の雅流様には必要なのだ……。 そうして一週間がすぎ、十日が過ぎた。 雅流との縁談が進んでいる雅楽器商の娘、信楽(しがらき)江見が櫻井家を訪ねてきたのは、そんな折だった。 「奥様がご病気で、櫻井様が、不自由しているのではないかと思いまして……」 女中と下男を連れ、あでやかな洋装で現れた江見は、霞がかった美貌と、弾けるような若さを持つ、闊達な娘だった。 笑顔は優しく、笑い声も清く、雅流が出かける場所にはどこへでもついていく。 たった一日で、江見という女は、御園の病気以来どこか陰鬱だった櫻井家を、たちまち明るい色に染め上げてしまったようだった。 「お母さま、滋養によいという漢方をおもちしました。ぜひ、お試しになってくださいな」 お母さま、お母さま、と可愛らしい声で連呼され、御園が嬉しくないはずはない。 江見は、連れてきた女中や下男をつかい、やがて家中を彼女のペースで動かすようになっていった。 屋敷の一部屋を自室として占領し、御園と雅流の身の回りの世話から、稽古の段取りまで、全て彼女が手配するようになると、本人に他意はなくとも、志野の居場所は自然となくなっていったのだった。 |
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