聞こえる、恋の唄
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第14章
「忍ぶ想い」
………<7>………

「私は、むろん賛成でございます。芸能で身を立てるというのは、口で言うほど簡単なことではございませんから」

私などが口を出すことではないと――そう知っている志野は、控えめな口調で答えた。

その反面で、これを機会に、自分の立場をはっきりさせておかねばならないとも思っていた。

「奥様、私のことでしたら、どうかお気遣いなさいませんよう」

御園の気持ちは、志野にはよく判っている。

本心では、御園は雅流の縁談を喜んでいるのである。

母として当然であろう。
盲目の息子の将来は、これで約束されたも同然なのだ。

御園を悩ませ、目に見えて痩せるほど憔悴させているのは、縁談が志野への不義理になると思い込んでいるからだろう。

そのようなことはお考えにならなくていいのだと、志野は言葉を選び、心を込めて大切な主人に説明した。

「お前はそう言うと思いましたよ」

御園は寂しげに微笑した。

意味が判るだけに、心苦しい。
どうあっても自分の存在が、御園を思い悩ませているという事実が、胸を重くする。

志野は立ち上がり、
「お弟子さんに、珈琲というものをいただきました、一度お召しになってくださいませ」
気遣うように言って、台所に向かった。

「志野、お前、結婚するつもりはないのかい」

背中から、御園の声が追いすがる。

「私など、誰ももらってくれません」

わざと明るく答えると、わずかな沈黙の後、御園が嘆息するのが判った。

「それはお前が思い込んでいるだけで、実は先日も、ある方からお話があったのですよ」

さすがに驚き、志野は手を止めていた。

「後添いのお話だけど、お相手は立派な官僚で、年も、お前とそう変らないし……お子さんもおられなくてね。こちらの方がいい縁談すぎて、私は驚いてしまったのだけど」

「冗談でございましょう?」

振り返った志野が問うと、御園は疲れたように首を横に振った。

「本当なのですよ。ここに出入りするお弟子さんが、お前の働きぶりを見て、いたく気に入ったようでしてね。仲介の人が入って、それは熱心に見合いを勧めてくださるのです」

「お断りしてくださいませ」

両手をつき、志野は即座にそう言った。

「それは判っていますよ、ですから、一度はお断りしたのだけど」

御園は苦しげに溜息をつく。

「相手の方が、こちらにこっそりいらして、お前を見たそうなのです。どうにでも、結婚の話を薦めて欲しいと、たいそう乗り気になられたようでしてね」

「…………」

「お断りするべきなのかどうか。志野……お前は、ここにいて幸せですか」

御園は痩せた瞼を閉じ、己のこめかみに指を当てた。

「雅流のほうは、今度ばかりは縁談を断りきれないかもしれませんよ。何しろ黒川の父には、言い尽くせぬ恩義を感じているのです。……そうなれば、お前をここへ置いておくのは酷すぎる。私は……」

「奥様」

「私は、お前に幸せになってほしかっただけなのに……」

アルマイトの湯沸かしを火にかけ、志野は再び、御園の前に手をついた。

「奥様、私は幸せです。なんと言って奥様にお礼を申し上げてよいのか、わかりません」

「……志野」

お前は欲がなさすぎますよ。

何年か前と同じ言葉を吐き、痩せ枯れたような女主人は寂しげに笑んだ。

「結婚はいたしません。ただ、それは雅流様のためではないのです。私の、生きようだとご理解ください。雅流様に幸せになっていただきたい気持ちは、私も奥様と同じなのでございます」

志野は、はっきりとした口調で言った。

曖昧な笑みを浮かべたまま、御園は何も言わなかった。

ただ額に手を当てて、疲れたような溜息を繰り返すばかりだった。


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