■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第14章 「忍ぶ想い」 |
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「そこをもう一度弾いてくれ」 はい――。 という言葉が思わず出そうになる。 額の汗を拭い、志野は再度撥を握り直した。 譜面通りに、自分の色を極力押さえ、ただ無心に撥を動かす。 目の前に座る男は、じっと目を閉じて、三味線の音色に聞き入っている。 まるで、別の方のようだ――。 志野は、影になった雅流の顔を見つめた。 六年前の、黙って立っているだけで感じられた、荒々しさや猛々しさはどこにもない。 逆に、手足の隅々にまで澄んだ落ち着きが滲み出ている。 目が見えていないせいだろうか。 一点に定められたまま動かない瞳。それはただ静かで、そしてどこか寂しげに見えた。 自分の名を聞いても眉ひとつ動かさなかった雅流は、戦中、戦後と、多くの困難と苦境を切り開き、すでに過去のわだかまりなど、跡形もなく捨て去っているのだろう。 少し寂しくもあったが、同時にほっとしたのも事実だった。 (もういい、俺がうぬぼれていた。俺が莫迦だった) あの日の雅流の声を、表情を、志野はこの六年、一度も忘れたことがない。 まだ二十歳にもならない男の純情を、ああいった形で傷つけて、踏みにじった。 二人の身分を考えると、雅流にしてみれば、耐え難い屈辱だったはずだ。 どんなに恨まれ、憎まれても仕方ないことだと、志野は今でも思っている。 演奏の手を止め、雅流がふっと顔を上げる。 それが合図で、志野は、すかさず、手を一回叩く。 一度叩けば、「はい」もしくは「合っています」。 二度叩けば、「いいえ」「違います」。 目の見えない雅流と、口のきけない志野。 手を会話の代わりとすることは、御園が考えてくれた日常生活の決め事だった。 「ありがとう、もういい、下がってくれ」 稽古に集中している時の常で、その日の雅流も冷たかった。 志野は三度、手を叩いた。 「お茶をお淹れします」 返事がないのは判っているが、御園から重々言い聞かされていることである。 (雅流は稽古となると、飲まず食わずで、倒れるまでやめないことがありますから。嫌だと言っても、無理に休ませる時間を作っておくれ) 台所で茶を用意し、頃合いを見計らってから、盆に載せて稽古場に戻る。 ちょうど一曲弾き終えた雅流は、すでに心得ているのか、三味線を置いて、額の汗を拭っていた。 志野は膝を進め、定位置に茶の盆を置く。 食事の給仕は御園がするから、志野にとっては、最も雅流と接近する瞬間である。 |
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