■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第14章 「忍ぶ想い」 |
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憂鬱な思いを抱いたまま、御園は鞠子と別れ、その足で薫の家に向かった。 様々な問題が山積していることも、志野が決して、本心から乗り気でないことも判っているつもりだった。 それでも今の御園には、こうすることが二人のためだし、問題はいずれ解決されると、ただ信じるほかなかった。 久々に尋ねて行った家では、薫は外出中なのか、留守居をしていた綾女が内職仕事をしている最中だった。 「志野さん……ご結婚されておられなかったんですか……」 話を聞いた綾女は、絶句したまま、しばらく微動だもしなかった。 そして、震えながら手をついて頭を下げた。 「申し訳ありません……私、何度も本当のことを打ち明けようとしたんです……でも、志野さんのお気持ちもわかりましたから……このまま、そっとしてさしあげるのが一番よいと思ったんです」 志野から、野菜などの物資を引き渡されていたのは綾女だった。 予想していた通り、綾女はそれを固く口止めされていたようだった。 綾女の人柄の良さを知っている御園に、とやかく思う気持ちはなかったが、綾女は強い責任を感じているようだった。 しばらく青い顔でうつむいていた女は、やがて途切れがちな声で語り始めた。 「本当のことを言います……私……お酒に酔ったあの人から聞いてしまったんです。薫さん、志野さんは絶対に雅と結婚なんてしやしない、できないって笑ってらして……その笑い方が、どこか妙だったものですから、私、覚悟してお聞きしたんです。そうしたら」 その後、綾女の口から聞いた忌わしい出来事を、御園はなかなか受け入れる事ができなかった。 なんということだろうか――薫が、そして、まさか雅流まで加担していたとは。 それでは、志野が絶対に承知しなかったのも無理はない。 いくら雅流に好意を抱いていたとしても――目の前に、同じ家の中に、自分を蹂躪した者が兄として残っているのなら。 薫さんを責めないでください。 最後に、綾女は、そう言って涙ぐんだ。 「何もかも私のせいなんです。そして……こういう言い方をしていいのなら、薫さんもまた、どこかで志野さんに惹かれていらしたのだと思いますわ。志野さんのことを語る時の、投げやりな言い方や、怒ったような目から、私には判りました……私、そういうあの方がなんだか哀れで、愛しくて、それで、ずっとおそばにいようと思ったんです」 何もかも、私のせいなんです。 綾女は涙を拭いながらそう繰り返した。 誰が薫を――そして綾女を責めることができようか。 突き詰めれば若い日の過ちで、夫以外の男と関係を持ち、そして雅流を身ごもってしまった自分が全ての元凶ではなかったか。 薫と綾女の婚約を決めたのは死んだ櫻井伯爵だった。 あれは――今思えば、妻の不貞への無言の抗議だったのだろう。 不義の相手の娘が嫁としてやってくる。御園に罪を忘れさせないために、死んだ夫が仕組んだ一種の復讐だったのだろう。 その復讐の犠牲になったのが雅流だった。 いや、雅流であり、御園が実の子より愛した志野だった。 (今となっては、雅流の目が見えないのが幸いというほかないのかしらね) そのとおりかもしれない。 帰りの車の中で、疲れきった足を休めながら、御園は暗い気持ちで考えていた。 志野は、決して雅流を受け入れはしないだろう。 そんな志野を雅流の傍に引き留めておいて――それは、あの娘にとっては、むしろ不幸なのではあるまいか。 鞠子の言うとおりだ。 雅流にしても、いつまでも独身を通すとは限らない。 その時、志野はどうするだろう。 自分は――あの薄幸の娘を再び傷つけるために、呼び戻したようなものなのだろうか。 「……志野、許しておくれ」 御園は低く呟いた。 それでも御園は、もう志野を手放したくなかった。 雅流との縁は絶たれたとしても、どうにかして、志野を幸せにしてやりたかった。 それがかつての自分の罪に対する贖罪だと――心から思っていた。 |
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