聞こえる、恋の唄
■■
第13章
「再会の時」
………<6>………

一心に縁側を拭き清めている女は、御園が庭に立っても、気がつかないようだった。

「しず、あんたにお客さんよ」

御園を庭まで案内してくれた仲居が声をかけ、ようやくしずと呼ばれた女は顔をあげた。

翳っていた日差しがにわかに強まり、女は、眩しそうに目を細める。

御園は、無言で、軒先の下まで歩み寄った。

(昨年、手紙を差し上げましたのは、あれでも奥様が、志野さんを訪ねてこられないか……。あつかましくも、そのように願ったからでございます)

昨日聞いたばかりの、高岡の言葉が蘇る。

(迂闊なことに、母がうかと、私が手紙を書いたことを志野さんの耳に入れてしまいました。志野さんが母の元を出て行かれたのは、それからすぐのことでございます。先月、風の便りにようやく居場所を突き止めましたものの……私が出向けば、またあの人は行方をくらませてしまうでしょう)
 
だから、高岡は、鞠子の店をうろうろしていたのだ。

小さな田舎町の温泉旅館。

御園の姿を常連の客とでも見間違えたのか、別人のようにほっそりしたうりざね顔の女の顔に、人好きのする笑顔が浮かぶ。

「……志野……」

御園は呟いた。
声と共に、涙があふれそうだった。

はっと双眸を見開き、信じられないものでも見るような目になった女は、すぐに、真っ青に蒼ざめた。

志野は、よろよろっとニ三歩後ずさり、そしてくずれるように膝をついた。両手をついて抵頭する。

「お許しください……お許しください」

何を許せというのだろうか。
何を許すことがあるのだろうか。

「志野、お前はどうして」

御園は駆け寄り、震える女の肩を強く掴んだ。

決して楽な生活をしているわけではないことが、痩せた肩から感じられた。

「どうして結婚したなど、そんな嘘をついたのです。どうして雅流の気持ちを踏みにじるような真似をしたのです」

肩を震わせたまま、志野は何も言わなかった。

いや、言わなくてももう御園には判っていた。

全て私のせいなのだ。
私が志野をそうさせてしまったのだ。

手紙を読んだ時から判っていた。
志野は雅流を、決して嫌っていたわけではない。
それどころか。――

「お前は莫迦です、莫迦ですよ、志野」

何度も志野の背を叩き、叩きながら御園は泣いた。
声をあげて泣いた。

お許しください、お許しください。

そう繰り返す志野の声もまた、涙声になっている。
顔を逸らして隠そうとしている。

右の額から耳にかけての、赤いひきつれのような火傷痕――それが出来た理由を、もう御園は知っている。
 
「許しておくれ……」

号泣しながら御園は志野の肩を抱き締めた。

「私を許しておくれ――志野、許しておくれ」

もう取り戻せない。

自分のあさはかな思い上がりから奪ってしまった六年という歳月は、雅流と志野から若さと美貌を奪ってしまった。

それはもう、どんなに悔いても取り戻せない。

それでも。
それでも御園は信じたかった。

二人の運命は、きっとまだ繋がっていると。

「志野、雅流はまだ、お前のことが忘れられないのです」

志野は首を横に振る。
激しく振る。

「雅流は目が見えない。私も、もうまともに家事をこなせない。手助けしてくれる人が必要なのです。志野、来ておくれ、お願いだから、私たちの家に来ておくれ」

志野はただ、泣きながら首を振るばかりだった。

お許しください、お許しください、奥様――。

そう繰り返すばかりだった。



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