聞こえる、恋の唄
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第12章
「雅流の光」
………<6>………

鞠子が帰った後、三味線の稽古をしている雅流の食事の支度をしながら、御園は志野のことばかりを考えていた。

あれは、幸せではないのだろうか。

よもや、病気でもしているのではないだろうか。

認めないわけにはいかなかった。
結局のところ、いくら憎んでも、御園は知りたくてたまらなかったのだ。

志野が今、どうしているか――元気でいるのか、幸せにしているのか。

「母さん」

いつの間にか三味線の音が止んでいた。

息子の呼ぶ声に、御園は濡れた手を布巾で拭って、隣室に続く襖を開ける。

稽古の時の着物姿のまま、雅流は音のする方に顔を向けた。

我が子ながら、美しい顔をしている、と御園は思った。

十代の頃は、むしろ荒々しく野性的だった雅流の顔は、今はすっきりとした色白の、雅楽に携わる人の面差しになっている。

静かな所作で一礼し、雅流は目を伏せたままで、顔を上げた。

「申しわけありません。実は、尚武様のお話ですが」

「断るのですね」

予感はしていたが、さすがに御園は眉が曇るのを感じていた。

「色々考えたのですが、まだ、時期ではありませんので」

雅流は静かな口調で答える。

考えたというのは嘘だろう、と御園は思った。

返事をすぐにしなかったのは、単に相手方への配慮であり、本人は迷いもしなかったのだろう。

「これ以上の話は、お前にはないと思いますよ」

思わず漏れた厭味にも、雅流はただ、静かに頷いただけだった。

御園は嘆息して立ち上がり、「志野のせいではないのですか」と、喉元まで出かけた言葉を、かろうじて飲み込んだ。

それこそ、訊くまでもないことだ。

わざと足音を荒げて台所に戻りながら、御園はふと、腹立ちまぎれに、では会ってみたらどうだろう、と思っていた。

志野ももう三十前だ。
さすがに子どもの一人や二人はいるだろう。

そんな年増になった女を、今さら雅流に会わせたところで、かつてのような心配をすることもない。

むしろ、雅流も目が覚めて、縁談を受ける気になってくれるかもしれない……。

不意に、心の閊えが取れ、すっと胸が軽くなった気分だった。

そうだ、何を逃げ回っていたのだろう。
逃げるから余計に、雅流の中で思い出だけが美化されてしまうのだ。

志野に会ってみよう。

初めて――あの日から六年たって、初めて御園はそんな気になっていた。



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