■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第12章 「雅流の光」 |
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茶を淹れ代えるために台所に向かいながら、御園はそっと唇を噛んでいた。 志野という女は、全く雅流の何もかもを変えてしまったのだ。 いいようにも悪いようにも。 志野とのことさえなければ、雅流が戦場へ行く事などなかったかもしれぬ。そうでなければ視力を失うこともなかった、代わりに奏者として大成することもなかった……。 「言わないつもりだったけど」 新しい茶を卓上に置いた時だった。 物憂げに窓の外を見ていた鞠子が、ふいに眼差しに意味ありげなものを浮かべて、御園を見上げた。 「実は先日、私、高岡に会ったのよ」 何気なく「そう」と答えようとして、御園は喉に骨が引っ掛かりでもしたような咳をしていた。 櫻井家の元書生で、志野の夫でもある高岡兵馬のことは、まるで全ての不幸の源でもあるかように、家族の間では口に出すことさえ禁忌な存在になっている。 「驚いたでしょう」 「別に」 御園は、気を取り直すように喉を鳴らした。 「別段、珍しい話でもないでしょう。お互い、車で一時間もかからない所に住んでいるのですからね」 冷やかな感情も露わに眉を寄せた御園は、先月、暑中見舞いと称して送られてきた葉書の書面を思い出していた。 雅流様のご活躍、まことに嬉しく思っております。 父も母も元気にしております。 こちらへ来られる便がございましたら、是非一度お寄りください。 高岡兵馬 かっとして、その場で葉書を握り締めてしまったのをよく覚えている。 こんな手紙を寄越しながら、志野の名前ひとつ付記していないのは、どういった按配からだろう。 自分の妻が、かつて雅流から求婚されたことで、余計な気でも回しているつもりなのだろうか。 あれほど自分たちに世話になっておきながら――小ざかしいことを。 そんなひねくれたことを考え、雅流の目に触れないうちに、葉書を破り捨ててしまったのだ。 「で?」 もう一度咳をして、御園は訊いた。 「でって、何よ」 自分から高岡のことを言いだしたくせに、鞠子はしれっとした顔で空を見ている。 御園は苛立って卓を叩いた。 「だから高岡がどうしたのですか」 「最初から気になるなら、そう言えばいいのよ」 呆れたように肩をすくめ、鞠子は、三日も前のことだけど、と語り出した。 「うちの店に来たのよ。あの男一人でね。母親の服を買いに来たと言っていたかしら。相手をしたのは店員だけど、私もいたから、挨拶だけはしてやったの。向こうは偶然だと言っていたけれど、なんだか全てがわざとらしくて、思うに暮らし向きが楽ではないのではないかしら」 「そうなのですか」 御園は身を乗り出している。 「金の無心に来たのではないかしら。そんな気がしたから、早々に帰ってもらったのよ」 鼻息を荒くして、鞠子は笑った。 「そこまで恥知らずだとは思わないけど、万が一志野がうちを頼って来ても、絶対に相手をしてはだめよ。あの女が雅流にどれだけの恥をかかせたのか、それを絶対に忘れてはだめ」 「志野は……」 言いかけた御園は、苦い目で頷いて、すっかり冷めてしまった茶を口にした。 志野は、そんな女ではありませんよ。 つい、言ってしまうところだった。 |
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