聞こえる、恋の唄
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第12章
「雅流の光」
………<4>………

「女中を雇おうかと思うのですよ」

御園が、そんな余裕のあることを鞠子に言えるようになったのは、昭和二十四年も半ばに差しかかろうとした頃だった。

雅流が復員してから、早くも三年の歳月が流れている。

まだまだ食料事情は悪かったが、世間にも、ようやく音楽を趣味として楽しめるような――そんな風潮が流れはじめていた。

雅流は二十五歳になっていた。

二十七歳になる薫と綾女との間には、先年男児が誕生している。

相変わらず仕事をしない薫だったが、それでも文筆という分野で、わずかな身銭を得ているようではあった。 

「女中もいいけど、雅もそろそろ、奥さんをもらったらどうなの」

鞠子は、ふくよかになった身体をもてあますように揺すって、御園を見あげた。

洋品店の女社長をしている鞠子は、仕事の羽振りのよさが、肉体にみっちりとついている。

「そうねぇ……」

御園は、曖昧に頷いた。

廊下ひとつ隔てた隣室からは、雅流の三味線の音色が聞こえてくる。

三時から五時の間、通いの生徒たちに稽古をつけているのである。

午後の日差しが、卓袱台(ちゃぶだい)で向き合う女二人を照らしている。

昨年移り住んだばかりの家は、間取りも広く採光もよく、周囲に民家もないため、三味線の稽古にはもってこいの場所だった。

鞠子は茶椀を置き、肩をそびやかすようにして御園を見上げた。

「隠しても無駄よ。縁談がたくさん来ているそうじゃないの。いい男は得ね、目が見えなくても、世話したいって女が沢山いるんですもの」

「雅流が承知しないのですよ」

御園は立ち上がり、溜息をつきながら開け放していた窓を閉めた。

「実は、先日も、元子爵の尚武家の入り婿にどうか、というお話があったのだけど」

「すごいじゃない? 本当なの?」

鞠子の感嘆を、御園は苦い目で遮った。

「まだ返事はしていませんけど、どうせ、あの子は断るでしょうよ。最初から乗り気ではないのが、見ていてよく判りましたから」

「断るって……誰か意中の人でもいるの」

「まさか」

「でも、あの身体で、いつまでも一人ってわけにはいかないでしょ」

「まぁ、そうなのだけど」

御園が返事を濁すと、憤慨したように鞠子は続けた。

「言っておくけど、雅の人気なんて、しょせんは一過性のものよ。こんな言い方をしてはあれだけど、人気が冷めても雅の不自由は一生続くんだから」

「わかっていますよ」

言われるまでもない。
大きな家から縁談がある内に、早くまとめて、雅流に確固とした後ろ盾を作ってやりたいのは、母としての、当然の願いである。

しかし、当の雅流が、頑として首を縦に振らないのだ。
こればかりは、御園がいくら焦ってもせんのないことである。

「修行中の身で、時期尚早だと思っているのでしょう。将来のことは、雅流なりに考えてはいるとは思いますがね」

あえて素っ気なく言葉を切りながら、御園は内心、苦い思いで、一人の女ことを考えていた。

(――志野……)

思い出すたびに、口惜しさが胸に募る。

雅流が結婚を承知しないのは、まだ、志野との過去に拘っているからに違いない。

問い正せば違うと言うに決まっているが、母親の勘が、それに違いないと告げている。

なにしろ、大袈裟ではなく、雅流は命を賭けて志野を妻にと望んだのだ――。


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