■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第12章 「雅流の光」 |
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花町に近い商家通りに借家を借り、御園と雅流の、二人だけの生活が始まった。 御園はもっぱら、芸者や水商売の女相手に稽古をし、呼ばれればどこへでも赴いて演奏した。 元伯爵夫人という触れ込みもついて回り――概ね、屈辱的な、腹立たしい思いをすることばかりだったが、全ては雅流を支えるためだと割り切れば、全く苦にはならなかった。 (――殿方の前で三味線を弾いて、お酒の相手をすればお金になるんですって) 若き日の鞠子が、志野の母親をあてこすって吐いたセリフだが、皮肉なことに、御園自身が、それと同じことをして日々の糧を得ている。 むろん老齢の域に達した女に、色気のあるようなことを言う輩はいなかったが、御園の扱われ方は、まさに芸者そのものだった。 「お金のことなら、私がなんとでもしてさしあげるのに」 鞠子は不服そうだったが、御園は耳をかさなかった。 この労が、降りかかる屈辱のひとつひとつが、いずれは雅流の糧になると信じて、あえて極貧を貫き、義娘の援助を断り続けた。 そうして半年が過ぎ、一年が経ち――御園はますます痩せ、体力は目に見えて衰えたが、艱難辛苦の日々は、確かに雅流の演奏に、芸術という名の魂を吹き込んだのだった。 母子二人の成果は思いの外早く訪れ、どん底の生活にはっきりとした光が差し込んできたのは、雅流が本格的に黒川に従事してから、一年半ほどたった頃である。 黒川流の定期演奏会で、初めて観衆の前で演奏した雅流が、にわかに有名になったのだ。 ただ、最初は実力というより、活字の威力のほうが大きかったのかもしれない。 盲目の奏者。 戦争で視力を失った悲劇の貴族青年。 そういったドラマティックな側面がクローズアップされ、雅流の若さや男らしい容姿などが、人気に拍車をかけることになった。 雑誌は再三取材に訪れ、若い娘たちは、こぞって雅流に師事することを求めた。 雅流が出る定期演奏会は常に満員で、他流からも再々お呼びがかかるほどの盛況ぶりだった。 雅流自身は、そういった騒ぎにも人気にも辟易していたようだったが、かといって、極貧を貫くほど愚かでもなく、母のため、生活のためと割り切り、世間の求めるとおりの役割を淡々と演じていたようである。 「雅の音は嫌いよ」 けれど鞠子はそう言い、薫にいたっては、演奏を聞きに来ることさえなかった。 それは、かつての櫻井家の栄華と、そして一人の女の存在を否応なしに連想させるからだろうと――御園自身も、胸が詰まるような気分で思うのだった。 |
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