聞こえる、恋の唄
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第10章
「昭和21年・夏」
………<3>………

息子の腕を支えながら、御園は人ごみを避けて歩き出した。

そして、言い難いけれど――避けては通れないことを、少しずつ、帰りの道中で語り聞かせた。

「お前が戦争に出てから……空襲がますます激しくなったのですよ」

「東京に大きな空襲があったのは、……向こうで聞きました」

雅流の横顔も、少しだけ厳しくなる。

櫻井の屋敷は全焼した。
幸い屋敷の者は全て生き延びたが、綾女の生家である綺堂男爵家は、最も爆撃が激しい地区にあったため、一家全員が焼死した。
逃げる間さえなかったらしい。

綺堂男爵は雅流の父である。
母の不義を息子が察していたことは、戦前、母子で話し合った時に聞かされたことでもあったし、御園自身が予感していたことでもあった。

実父の死は、すでに覚悟していたことなのか、それを聞いても雅流の表情は静かなままだった。

「鞠子のところも、鴨居子爵が、腸チフスかなにかで……本当にあっという間のことでした。人の命とは、本当に儚いものですよ」

頼りにしていた鴨居、綺堂両家が相次いで倒れ、櫻井家はますます窮した。

実際、一時は、その日の衣食にさえ事欠く始末だった。

「黒川の家は無事でしたか」

「無事といえば、無事でしたが」

御園は苦く微笑した。戦争は――本当に、かつての日常を何もかも奪ってしまった。

「……黒川流も活動自粛が軍から要請され、派は解散寸前のところまで追い詰められてしまったのです。お屋敷は空襲で焼かれ、お父様も随分な目にあわれたのですよ」

「では、うちが頼りにする親戚は、もう全てなくなったのですね」

息子の問いに、御園は「ええ」と、力なく頷いた。

頼るべき親戚は全て倒れ、東京の食糧事情はなお悪くなるばかりだった。

国民の誰もが飢えて、痩せて、栗も柿もまだ青い実の内に片端からもがれ、主食は米から芋に代わった。

そんな中、いっそう深刻な状態に追いこまれていったのは、アカ屋敷として、空襲後もなお差別的な扱いを受け続けていた櫻井家だったのである。

「配給もなくなり……食料を分けてくれる人もなく、うちの者は餓死寸前でした。それを……綾女さんが、色んなところから野菜などを調達してきてくださって」



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