聞こえる、恋の唄
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第10章
「昭和21年・夏」
………<1>………

復員する者、引揚げて来る者、それを待つ者。

怒号と悲喜が入り混じり、悲鳴のような喧噪が共鳴している駅のホームで、櫻井御園は、ショールを握り締めたまま、今日戻ると連絡のあった人の姿を待ち続けていた。

本当に帰ってくるのだろうか――あの手紙は、夢か、はたまた悪戯ではなかったのだろうか……。

昭和二十一年。

日本が敗戦してから、約一年が過ぎようとしていた。

陸軍将校としてルソン島に送られた御園の息子は、終戦直前の一掃攻撃で行方不明となり、同部隊の者の証言等から、いったんは死亡が伝えられた。

が、――戦後半年以上たってから、捕虜として米軍に捕らえられていることが判ったのである。

終戦後の戦場で、怪我をして動けないでいるところを、米軍に収容されたらしい。
同じように怪我をした米国兵士と、助け合って飢えをしのいでいたのが幸いし、すぐに病院に収容され、危うい所で一命を取りとめたのだという。

なかなか祖国に帰国できないでいたのは、怪我の治りが思わしくなかったのと、片言ながら英語が喋れたためだった。

雅流は、混乱の極みにあった捕虜施設で、即席通訳として重宝されていたらしく、帰国に当たっては随分引きとめられたと言う――。

数年前なら、鬼畜米兵に加担する非国民とののしられたであろう、そんないきさつさえも、戦後、人々の意識が手のひらを返したように一変してしまった今では、逆に羨ましがられる始末だった。

いずれにせよ、御園が最も愛した息子は、生きていたのである。

(雅流……)

御園は、しかし、これから先の雅流の人生を思い、ややすれば絶望で眩暈がしそうになっていた。

手紙の中ではっきりと、宣告された事実がある。

雅流は、爆撃の衝撃で頭を強打し、身体に、深刻な後遺症を負ってしまったのだ。

生きていられたのが、奇跡です。母さん。

一行だけの、その、のびのびとした筆跡には、いっぺんの曇りも憂いも感じられなかった。
そしてそれだけが、今、息子の帰りを待つ御園の支えでもあった。

ホームに、新しい汽車が滑り込んでくる。

御園ははっとして顔を上げた。

停車した汽車から、なだれのように人の波が溢れ出て――その最後に、一際長身の男がゆっくりと現れる。


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