聞こえる、恋の唄
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第一章
「櫻井伯爵家」
………<4>………

「姉さんのすねる気持ちは判りますけど、志野は、腕だけは確かですからね」

雅流の横で、柔らかく口を挟んだ人がいた。

櫻井家の長男、薫である。

「なにしろ、あの厳しいお母様が気に入って、片時も離さない秘蔵っ子ですよ。あれだけ毎晩お母様の稽古につき合わされているのだから、嫌だって上達するでしょう」

薄い唇が微かに笑う。

色白の肌に整った顔立ち、少し色素の薄い髪と瞳。

実際、女にしてもいいほどの、綺麗な容貌をした男である。

今も薄暗い部屋の中、薫の周辺にだけ燐光がかかったような輝きがある。

東京芸大の邦楽科で、二つ年下の雅流と共に、本格的に三味線を習っている薫は、今日は、黒単に袴という凛々しい姿であった。

優しげな微笑を浮かべたまま、薫は続けた。

「僕も時々、志野の三味線を聞いては勉強させてもらっているんですよ。本音を言えば、志野のように、お母様につきっきりで稽古をつけてもらいたいのですがね」

志野は、目を伏せていた。
できるならば、その声さえも遮断してしまいたかった。

一見天使のような美貌を持つ薫だが、彼の内面に、実は非常に軽薄で残忍なものがあることを――志野だけは、嫌というほどよく知っている。

「あら、単にそれだけではありませんことよ、薫様」

薫の隣で、にっこりと微笑した人がいた。

目が覚めるほど鮮やかな萌葱の着物を身につけている――男爵令嬢の、綺堂綾女(あやめ)。

「志野さんの才能は、お稽古で身につけたと言うより、きっと天性のものなのですわ」

「なるほど、天性の」

花より可憐な笑顔で見上げられ、薫の口元にわずかな苦笑が浮かびあがる。

「志野さんの演奏は、それはそれは見事ですもの。私、天性の何かを感じますわ。志野さんも、雅流様や薫様のように、本格的に邦楽をお学びになればよろしいのに」

無邪気な笑顔を振りまく綾女は、薫の幼少の折からの許嫁だった。

櫻井家と綺堂家、祖父の代から懇意だった両家の親によって決められた縁組で、昨年二人は、正式に婚約を交わしたばかりである。

実際、志野が、薫にいくばくかの人間らしさを感じるのは、彼が婚約者と一緒にいる間だけだった。

が、それを微笑ましく思う反面で、薫の本性を知らない綾女が気の毒に思えてしょうがない時もある。

「そう、確かに志野には才能があるわ。だってそれが血筋ですもの。ねぇ、志野」

ふいに鞠子が、声を弾ませて膝を乗り出してきた。

思わず見た顔は、意を得たり、とでもいうように生き生きと輝いている。



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