■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第一章 「櫻井伯爵家」 |
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御園の右隣に座っている鞠子は、特注で作らせた三味線を所在無く弄びながら、あざけるような眼差しで志野を見た。 「志野、あんた今朝、糠床をいじったでしょ? いやぁねぇ。ちゃんと手を洗ったの?」 耳まで赤くなるのを感じ、志野はさっと視線を伏せた。 「お母様、だから下働きの女なんて、同席させるのはよしなさいって言ったのよ。せっかくおじいちゃまの稽古を受けられる大切な日なのに、なぁに? この匂い、綺麗にしてきたのに台無しじゃない」 綺麗にしてきた――と言うとおり、わざとらしく肩をすくめる鞠子は、今日はいつもの洋装ではなく、銘仙の着物をまとい、髪も島田に結いあげている。 鞠子だけではない、御園も大島の単衣を身に着け、髪も美しくまとめている。 今日は、櫻井家にとっては特別な日なのだった。 鞠子の言う、おじいちゃま、というのは、御園の実父で、長唄三味線黒川流の家元、黒川泰三のことである。 祖父と、同じく黒川流師範である御園の影響で、櫻井家の三人の子供たちは、幼い時から手習いのように三味線の稽古を続けている。 今日は、黒川流本家から、家元の黒川泰三が出稽古に来る、月に一度の日なのだ。 「ああ、臭い、臭い。匂いが移ってしまいそうだわ」 わざとらしく鼻を摘まむ鞠子は、御園にとっては血の繋がらない先妻の子である。 鞠子の母親は公家の出で、御園は士族。そのせいかは鞠子は、継母に対し、いつもぞんざいな態度を取る。 御園は厳格な横顔のまま、義娘の皮肉にも眉ひとつ動かさなかった。 一番上席に座する家元、黒川泰三もまた、同じである。 「お母様も物好きだこと。何も使用人の女にまで稽古をつけてやる必要はないのに」 自分の嫌味が聞き流されたと察した鞠子は、露骨につまらなそうな目色になった。 「それにお爺ちゃまもお爺ちゃまよ。うちには薫も雅流(まさる)もいるのに、どうして志野ばかりに目を掛けられるのかしら」 「志野は筋がいいですからね、それに稽古熱心な娘ですから」 義娘の執拗な嫌味を、御園は疲れたように手短に遮った。 そして、少し厳しい眼で、まだ糸を引っ張っている最下席の志野を見る。 「志野、早くなさい」 「は、はい」 志野は我に返り、手元の作業に集中した。 指が痛んで、糸が上手く伸ばせない。 天神を腰に引き寄せ、右手で思い切り糸を引っ張るが、糸巻きを回す段になるとどうしても糸が緩んでしまう。 この行程を怠ると、演奏中に調子が下がり、上手く音が合わせられなくなるのだ。 焦りが、余計に手元を狂わせる。 「貸してみろ」 低いがよく通る声がした。 |
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