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一
「十分だけでいいんです、私の話を聞いてはくれませんか」
無精ひげを生やした男は、むさくるしい笑顔で哀願する。
「だ、か、ら」
蓮見は頬杖をつき、指先で、カンカン、と机を叩いた。
「こっちはずーーーっとてめーの身の上話を聴いてんだろうが、このボケ、このスカタン!」
「はっ、蓮見さん、警察官の先制攻撃は法律で禁止されてます」
背後に立っていた先輩警察官の的場竜司が、慌てて立ち上がりかけた蓮見の肩を掴む。
「法律で禁止されてない暴力なんて戦争くらいだろうが、ふざけんな、いい加減、肝心なことを言いやがれ」
その腕を振り解き、蓮見は、テーブルを拳で叩いた。
―――島根県警瓦町交番。
蓮見の郷里でもある島根県警管轄の、さびれた港町にある小さな交番。
ここは、その奥にある、取調室――と言えば聞こえがいいが、まぁ、単に現行犯逮捕した被疑者を、県警本部が引き取りにくる間、拘留しておくための―――二メートル四方程度の小部屋である。
蓮見黎人と、そして年下の先輩警察官、的場竜司。
この町で人気のイケメン警察官(注・的場の自称)二人組は、今朝、かねてから手配中の、「十分間詐欺男」を逮捕したのである。
それが今、この室内で、二人の目の前に座っている、なんとも情けない男だった。
「とにかくね、私の人生、汗と涙、そして労働が全てです」
男は、蓮見と的場の会話など全く無視して、淡々と語りだした。
五部刈りに無精ひげ、目だけが大きくて、意味もなくつぶらだ。
年は五十がらみだろう、しわくちゃのワイシャツに、くたびれて褪せたズボン。元はサラリーマンだな、と蓮見はすぐにそう察した。それもホワイトカラー、労働とは無縁の、どこか知的な仕事についていたに違いない。
「人生色々……なんてことを、昔の総理大臣が口にしたこともありましたね、そう、私も常々、そんなことを考えてしまうんです」
「まぁ……しょうがないっすよ、あと五分もすれば、元課からお迎えがきますし、俺らが取り調べするわけじゃないんだから」
的場が、蓮見の肩を叩きながら、なだめるような口調で囁いた。
「……わかってるよ、それくらい」
蓮見は舌打しつつ、嘆息して席についた。
的場の言うとおり、交番勤務のお巡りさんがすることは、ここまでである。
本格的な取調べも、拘留決定も……蓮見たちのする仕事ではない。十分間詐欺男を逮捕したことは、すでに県警本部に連絡済みで、的場の言うように、今、本部の連中がこちらへ向かっている最中なのである。
「それでですね、僕は、単身中国に渡りまして、それはもう、がむしゃらに働いたわけですよ」
蓮見と的場の空気などおかまいなしに、座ったままの男はさらに語気を強めて語り始めた。
「行けよ、こいつは俺が見とくから」
蓮見は背後の的場に囁き、そして再び椅子に座って頬杖をついた。
ま、勝手に喋らせておけばいい。
「レストランの皿洗い、掃除、建設現場の日雇い……そんなことばかりやらされましたよ、ええ、毎日毎日朝から晩まで、それはもう、筆舌にたえがたい苦労でしてねぇ」
「へぇへぇ」
蓮見は適当に相槌を打った。
十分間詐欺。
それは、この静かな田舎町で、ご老人たちを恐怖のドン底に突き落とした事件だった。
被害者は全て高齢のご老人。公園やスーパーなどで、一人でいる所を狙われる。このいかにも怪しげな男が老人に近づき「何か、心にためていることはあるませんか」と、宗教まがいに切り出すことから始まるらしい。
「十分間、僕にあなたの心の中にあるものを話してはくれませんか。十分でいいんです。人生でたったの十分、思いっきり心を開放してごらんなさい。それで、あなたはとても楽になりますから」
何故か、殆どのご老人が、あっさりとそれにひっかかる。
「僕はただ聞いているだけです、他には何もしません、あなたの話を真剣に聞いてあげるだけですから」
そう。確かに男は何もしない。老人が夢中になって語っている間に、背後から忍び寄った何者かが、彼らの所持品をこっそり拝借していくのである。
つまり、十分間詐欺は二人組みの犯行で――今日、蓮見たちは、もう一人の窃盗担当の相方を取り逃がしたのだった。
というより、このつぶら目の男が蓮見と的場にすがりつき、共犯者の逃亡を幇助したのである。
「……逃げたのは、てめぇの息子か」
蓮見は頬杖をついたまま、横目で男を見ながら呟いた。後姿から察するに若い少年だった。それだけは間違いない。
「人ってのはねぇ、刑事さん」
「おらぁ、刑事じゃねぇよ」
「十分で語りきれる人生なんて、どこにもない。十分で理解できる人間なんてねぇ、本当、どこにもいないんですよ」
背後の扉が薄く開いた。
「蓮見さん、来ましたよ、元課のみなさん」
「おう」
的場の声に、蓮見はやれやれ、と立ち上がった。
ようやくこの、しめっぽい嘘話ともおさらばである。
「何が労働ばかりの人生だ、この詐欺野朗」
男の腕を掴んで立たせながら、蓮見は眉をしかめて毒づいた。
「てめぇのなまっちろい手は、今まで一度も汗なんて流したことのない手だよ、見え透いた嘘つきやがって、せいぜい向こうで絞ってもらえ」
「それでもねぇ、刑事さん」
「だから、俺は刑事じゃねぇって」
「みんな話したいんですよ、たった十分、たった十分でも、伝えきれないとわかっていても、理解されないと判っていてもですねぇ、話したいんですよ、判ってほしいんですよ、人ってこんなに孤独な生き物なんでしょうかねぇ、刑事さん」
耳元でぺらぺら喋る男は、笑っているのにどこか泣きそうな目をしていた。
やがてその耳につく声も、エンジンの音と共に完全に消える。
「いやぁ、疲れた疲れた」
背後で的場が伸びをしている。蓮見は、妙にすっきりしない気持ちのまま、ポケットの煙草を取り出して唇に挟んだ。
二
「蓮見さん、何読んでるんすか」
「え、はっ、ん?」
ぎょっとした蓮見は、わけのわからない受け答えをしつつ、パソコンの陰に隠れて読んでいた書物を机の引き出しに投げ込んだ。
声の主は、狭い交番の入り口に立っている的場竜司である。
ああ、もうこんな時間か、と蓮見は慌てて腕時計を見た。
午後八時前。そろそろ交代の時間だった。十分間詐欺男も、交番的には一件落着して、いったん帰宅して仮眠していた的場が戻ってきたのである。
的場は、まだ私服姿だった。通りすがり、横目で蓮見をちらっと見つつ、ちょっと嫌味な口調で言う。
「市民の税金ので食ってるおまわりさんが、職務怠慢だなぁ、表でお婆さんが迷子になってますよ」
「だったらてめぇが、案内しろよ」
「蓮見さんのご指名なんです」
―――ホストか、俺は、
内心そう毒づきつつ、蓮見はやれやれ、と立ち上がった。
まぁ、実際、田舎の地元密着型交番勤務のお巡りさんは、それに近い仕事もさせられている。
蓮見黎人が、再雇用――という、どこか曖昧な裏道を通り、ここ、瓦町交番で勤務をはじめて、はや一年近くがたとうとしていた。
二十四時間体制で、蓮見と、先輩警察官の二人、その三人で、交代勤務という不規則な形態を取っている。
今まで起きた一番大きな事件が、漁場争いで起きた暴行傷害くらいで、あとは、パトロール、ご近所の相談窓口、それと、近所の子供の遊び相手が主な仕事である。
が、暇な割りにはにまとまった休みは絶対に取れない。
たまの休みも、町内会の行事や酒席に頻繁に呼び出されたりなんかする。
そうそう、忘れてはならない、たまに来る観光客の地元案内も大切な仕事なのである。
―――はぁー、いつまでこんなことやんなきゃいけねぇんだ、俺。
街灯さえろくにない暗い通りにひょいと出て、蓮見は、そもそもこんな時間に、お婆さんが迷子になることなど、有り得ないと気がついた。
「はぁ?体外授精子、そのリスクと希望……蓮見さん、今度は医者にトラバーユですか」
「あ、的場、てめぇ」
驚愕しつつ振り返ったがもう遅い。
警察官のくせに詐欺師よりナチュラルな嘘をつく的場は、すでに蓮見が机の中に投げ込んだ書物を手にしていた。
「プライバシーの侵害だ、いや、人権侵害だ」
「何いってんですか、交番の中にある備品にそもそもプライバシーなんて有り得ませんよ」
噛み付くように蓮見が駆け寄ると、的場はさほど悪びれもせず、その書物をひょい、と投げ返してくれた。
先輩――とはいえ、的場は蓮見よりは二つ三つ若い。
最初はどこかで蓮見に遠慮していたのだろう、素直そうに見えたこの男は、今では性格の悪さを剥き出しにしてくれるようになっていた。
まぁ、結構面白い男で、蓮見にとっては、気がねなしに話せる友人の一人である。
「……じゃ、俺、あがるから」
照れ隠しもあって憮然としつつ、蓮見は本を上着の中に隠すようにして的場から背を向けた。たまたま先週、町内会の行事で一緒になった町医者が無理に貸してくれた専門書である。おせっかいな奴――と思いつつ、なんとなく読み始めてしまった。
ベクター女性の出産は、今や体外授精が主流らしい。蓮見の結婚相手のことは、この町の人間はおろか、下手すれば日本中が知っているから、田舎の町医者らしい独りよがりの親切心だったのだろう。
―――くそ、恥ずかしいところ見られちまった。
男が、こそこそ隠れて読むような本でもない。蓮見は情けない自分に舌打したい気分だった。
「まぁ……蓮見さんも、色々大変だとは思いますけど」
が、ロッカーで隣り合わせになった的場は、意外にも神妙な顔で蓮見を見上げた。
じっと蓮見を見つめる犬のように可愛い瞳。それが、がんばってください、と、言っているように見えた。
蓮見は少し、胸を衝かれた気持ちになって、的場から目を逸らした。
蓮見が結婚している相手、右京奏。
その素性は、むろん、ここにいる的場もよく知っている。
彼女がベクター種で――ゆえに、体外授精を選択しなければならない理由も。
ベクターの女性は、妊娠により、今ではひとつの遺伝病と呼ばれる難病に罹患するのである。かつてはHBHと呼ばれた恐怖のウィルス。その致死率は八十パーセント以上――つまり、ほぼ助からない。
それは、蓮見にとって、いまだ直視したくないが、右京にとっては逃げようのない現実だった。
「いや……まぁ、大変っつーか、そんなでもねぇけどよ」
独り言のように呟き、蓮見は髪に手を当てた。
そのことは、あまり二人の間では話として出てはこない。というより、話す時間すらないことの方が重要で――
が、
「で、やっぱり、やらせてもらえないんっすか。セックスレスって、最近多いっていいますよねぇ」
ふいに的場は目をきらきらさせて話はじめた。
「…………………………」
「あーんな綺麗な人だもんなー、日本の顔ですよ、顔。俺、こないだテレビのニュースで見ましたけど、色んなこと想像して、思わずティッシュケースを」
「……的場」
蓮見は、半ば本気で腰の拳銃に手を当てた。
「じょ、冗談に決ってるじゃないっすか、もうっ、」
と、たちまち蒼ざめて、的場は慌てて両手を振る。
「だ、誰がそんな気になれますか。ぼかぁ、蓮見さんをある意味尊敬してますよ。だってあの右京さんですよ?ああ、恐ろしい。どんな美人でも、僕は一生係わり合いになりたくないっすよ」
元警察官僚右京奏。
その噂は、さすがの田舎交番にも届いているし、的場もよく知っている。
多分、いい噂より、悪い噂の方が多いのだろう。
同僚の女刑事を射殺した女――鬼より非道な冷血漢。
そして今、国土防衛の最先端に立ち、戦い続けている女。
「……まぁ、帰るわ、あとはよろしく」
蓮見は帽子痕のついた髪を掻き乱し、そして嘆息してロッカールームの扉を開けた。
「ま、頑張ってくださいよ、ぼかぁ、応援してますから」
背後から声だけが聞こえる。
「てめぇに応援してもらっても嬉しくもなんともねぇよ」
投げやりにそう答えつつ、それでも的場の心根の優しさは理解しているつもりだった。
―――右京……子供なんて、育てられねぇだろうな……。
着替えを済ませて交番を後にした蓮見は、煙草を取り出しながら夜空を見上げた。
月が綺麗だった。星さえみえない。あまりに月が輝いているから。
子供が欲しいといえば嘘になる。が、欲しくないといっても嘘になる。
こういうことを考えるようになったこと事態、年をとった、ということなのだろうか。
―――まぁ、俺が……三年くらい育休とって休むとしても……。
「…………」
さすがに、その先のことを考えると、蓮見にも自信がなくなってきた。
退職して再雇用。蓮見には常にハンデがある。交番勤務も時には楽しい、が、やはり――はやく現場の第一線で、刑事として仕事をしたいという夢もある。
的場が見たというテレビニュース。それは蓮見も目にしている。
オホーツク海近辺で起きたとされる要撃戦闘機による迎撃戦。
記者会見の席で、総理大臣と同席の上、受け答えをしていた右京は、輝くばかりに美しく凛とした気品に溢れていた。
右京は月だ。で、俺は――。
「…………」
莫迦な自分の考えに苦笑しつつ、蓮見はコンビニの灯りを求めて歩きだした。
結婚している――とはいえ、蓮見の日常は、ほぼ、独身と同じである。
右京は、月に一度も戻れればいい方だ。そして、蓮見が、その右京の休暇に上手く休めたためしはない。
大抵は呼び出しや夜間勤務が重なり、アウトなのである。
―――まぁ、ガキは無理かな、あいつも……最初からそう言ってるし。
いつになく気鬱なものを感じつつ、蓮見は月明かりに照らされた道を足早に歩きはじめた。
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