One day One minute








vvvvvvvvvvvvv
                     五


「じゃ、今回はお手柄だったな」
 本部長という男に肩を叩かれ、蓮見は、ただ、はぁとだけ口にした。
「さすがは元、本庁の最前線にいた人間だ、君の噂は聞いているよ、蓮見君」
「それは……どうも」
 別に、何もしてないんだが……と、思いつつ、蓮見は去っていく県警本部の刑事たちに、形通りの敬礼をした。
「一体、なんだったんですかねぇ、あの子」
 本部の人間に出した湯茶を片付けつつ、的場が呟く。
 十分間詐欺の共犯は、まだ十九歳の未成年だった。
―――あのおっさんはよ、先公のくせして俺らの仲間相手に援公してやがったのよ、ちょっと脅したら、後は俺らの言いなりでさぁ。
 金髪にじゃらじゃらピアスをぶらさげた男は、最初はただ、ふてぶてしかった。一体何しに自首しに来たんだ?と、思うくらいに。
 元高校のクラス担任に生徒。
 二人の犯罪者は、そんな関係の持ち主だった。
―――俺?高校中退してさぁ、あいつも学校辞めて、離婚して家も退職金もとられちまってさぁ、なんとなく一緒に暮らしてるわけさ、っても、おっさん、俺の奴隷みたいなもんだったけど。
 つぶら目の親父は、虎の子の貯金も少年たちに食いつぶされ、物乞いの真似までさせられていたらしい。
 そこまで聞いて、蓮見は胸が悪くなった。目の前の未成年に、殴る代わりにコーヒーをぶっかける寸前だった。
―――今回の詐欺?考えたのは俺よ、あのおっさん、説教だけは上手かったから。十分間だけっての、あいつの先公時代からの口癖。
―――なのにさぁ、なんだって、あのおっさん、俺庇って逃がしたわけ?なぁ、あのおっさんさ、ここで何喋ったわけ?
 結局のところ、未成年はそれが聴きたかったらしい。
 そればかりしつこく繰り返し、挙句には怒り出す始末だった。
「最近の若い子は理解できませんよ。頭わりぃのかなぁ、逃げようと思えば逃げ切れたのにねぇ」
 的場が、あきれたように呟いている。
 蓮見はそれには答えなかった。
「…………」
 それでもねぇ、刑事さん
 あの男の声が、まだ蓮見の胸の底によどんでいた。
 みんな話したいんですよ、たった十分、たった十分でも、伝えきれないとわかっていても、理解されないと判っていてもですねぇ、話したいんですよ、判ってほしいんですよ、人ってこんなに孤独な生き物なんでしょうかねぇ、刑事さん。
 笑っているのにどこか泣きそうな目。
「伝わってたんだろ」
 蓮見は思わず呟いていた。
「……は?」
 盆を持ったままの的場が、いぶかし気に振り返る。
「ああ……いや」
 あのつぶら目の親父は人間としては最低だ。結局は、一人の少年の犯罪を助長して、止めることさえしなかった。大人として、他に手段がなかったとは思えない。
 ただ、弱かったのだろう、それだけは確かだ。
 が……。
―――多分、自分が奪ってしまった大人への信頼を、未来への希望を。
 それは、乾いた砂漠に水を撒く以上にむなしく、なんの意味もない希望だったに違いないけれど。
 でも、どこかで伝わっていた。
 だから、あの少年は――妙な形で自首してきたのではないだろうか。
「……俺、帰るわ」
 蓮見は立ち上がっていた。
「ちょ……蓮見さんっ、後の調書っ」
 こういった仕事に慣れていない的場が慌てているが、休みを棒にした蓮見も、今だけは家に帰りたかった。
 今だけは、まだ――間に合うなら。
「悪い、昼には戻る、有休にしといてくれ」
 時計を見ながら、急いで自転車に飛び乗った。
「は、蓮見さん、公用車っすよ!」
 的場の悲鳴が聞こえる。悪いが今は、一分一秒も惜しかった。


                  六


 官舎の前に自転車を乗り捨て、駆け足で階段を駆け上がる。
「右京!」
 扉を開けると、すでに帰り支度を済ませた女が、鞄を手に立ち上がっているところだった。
 さすがに驚いた目をしている。
 昨日とは違う――一部の隙もないスーツ姿。テレビで見た国防の顔が、そのまま狭い部屋の中で立っている。
 なのに、不思議と、昨日より右京が身近に感じられた。
「……間に合ったって……いいたいとこだが……」
 蓮見は息を切らせながら、時計を見る。9時50分、もう時間がないのは明らかだった。
「今回は急なことで悪かった……また、来るよ」
 蓮見が呼吸を整えていると、そう言った右京はようやく微笑した。
 表情は普段とおりだが、どこか寂しげな笑い方だった。
「いや……俺の方こそ」
「徹底的に掃除した。いつでもハウスキーパーに転職できそうな気分だ」
「何言ってんだ」
 ようやく軽口を叩きながら、この女は、昨夜、どんな思いで、一人きりで夜を過ごしたのだろうか、と、蓮見はふいに胸苦しくなっていた。
「……あ、あの……さ」
 どう言えばいいんだろう。
 判らないが、ひとつ確かなのは、蓮見にとって、自分の人生から、もう右京が切り離せないということだった。
 たとえ何があろうと、どんな運命が待っていようと。
 無駄かもしれないが、右京をもっと理解したい。二人の間の性格的な溝は、もしかして一生埋まらないかもしれないが。
「ちょっとだけ……素直になってみないか?」
「…………?」
 自分の吐いたセリフに蓮見は耳まで赤くなった。な、何いってんだ、俺。
 そして慌てて言いつくろう。
「あー、十分だけ、そのぅ……そうだ、なんでも言うってのはどうだろう。十分だけ、なんでもいいから言いたいこと言ってみろよ」
―――これ……十分間詐欺じゃねぇか。
 気付いた蓮見はますます赤面した。
 咄嗟のこととはいえ、まさか、自分があの詐欺師の真似事をするとは思わなかった。
「……十分……?」
 右京の顔が、ますますいぶかしげなものになる。そして、
「……簡単に十分というが、自分がスピーチすることを考えてみろ、三分もつかどうかがやっとで、十分というのは、話をする方にも聞く方にも意外に」
 この論点のずれた反論はなんなんだ。
 脱力しつつ、蓮見は力なく手を振った。
「わ、わかったわかった、長すぎるってんだろ、えーと、じゃ、一分」
「…………一分」
「一分、そう、一分、これから一分だけ、思いっきり本音を言ってくれ、一分すぎたら忘れるってことで」
「…………それ、なんのまじないだ」
「ま、まぁ、深く考えずに」
 右京の眼が、ふいに疑わしげに引き締まった。
「…………どこの飲み屋で覚えたくどき文句だ」
「は……はぁ?」
「お前は前科があるからな」
 意外と執念深い右京の一面を見た気がして、蓮見は思わず青ざめていた。いや、今はそんな――ことはしてないし、何年か前のあれは、完全に未遂だし。
 右京は難しい顔になり、そしてようやく鞄を床に置いてくれた。
 綺麗な指を唇に当てた。少し、思案するような表情になる。
「給料が安い」
 そして、生真面目な顔で口にした第一声がそれだった。
―――は?
 蓮見は愕然と顎を落とした。
「将来が不安だ、私が辞めたらどうなるんだ、この家の家計は」
「……はぁ」
―――いや……まぁ、こんなことが聴きたかったわけじゃ……。
「安い癖に不規則だ。人事院は何をしている、現場の警官の士気が下がれば、日本の犯罪検挙率は下がるばかりだ」
―――…………いや……右京さん…………。
「貸与住宅がひどすぎる、そもそもここは、建物としての寿命は限界がきている」
―――そ、それはごもっともなんですが。
「地震でもきたらどうなる、先頭に立つべき公務員の家が全壊では、話にならない」
「そ……そうっすね」
「島根は遠い、電車の本数は少ないし、バスもない。……一体国土交通省は何をやっているんだ」
「あ、あのぅ」
―――も、もういいです。これ以上。
「不規則勤務に最低の住居、低賃金、これ以上ないくらい最低の結婚環境だ」
「う、右京、もう」
「夫は、いまだに苗字で呼ぶし」
「そ、そりゃ、お互いさまだろ!」
「一度も、傍にいろとは言わない」
「………………」
 もういいよ、そう言おうとした蓮見は、口を閉じて右京を見下ろした。
 右京は笑っているようにも見えた。
「私は最低の奥さんなのに」
「…………」
「一度も責めてはくれないんだ」
「…………」
 その笑顔が崩れるような気がする前に、蓮見は右京の腕を引き、その身体を抱き締めていた。
「……子供が欲しい……」
 耳元で、囁くような声がした。
「うん」
 抱き締めたまま、蓮見は頷く。
 判っている。どこかで、それは理解していた。右京が――産まない、産めないと繰り返す裏側で、実は切実にそれを欲していることを。
「無理だけど……無理なんだけど……欲しい……」
「うん……そうだな」
 どんな形でもいいよ。
 俺は全部受け入れるし、受け止める自信があるから。
 というより、そんなガッツ意外に、お前に勝てるものは何もないから。
「俺も我侭言ってもいいか」
 短いキスの後、額をあわせ、蓮見はそう囁いた。
「……言うだけなら言ってみろ」
「帰るなよ」
 右京が、少しだけ笑った気がした。
「……奏」
 絶対に呼べないと思っていた名前は、口にすれば、本当に簡単で――あっけないものだった。


                   七


―――10時20分。
 腕時計を見下ろした降矢龍一は、嘆息して車のエンジンを切った。
 約30分ほど前、目の前を猛スピードで駆け抜けていった制服姿の警察官。
 男が消えた四階だての古びた公務員住宅を、ステアリングにもたれた降矢はなんともいえない気分で見上げる。
 予約した飛行機に間に合わないのは、もう明らかだった。こんなことは初めてだし、まぁ……今後は二度としてもらっては困る。
―――これだから、困るんだ、女の上司ってのは。
 今が、どれだけ大変な時期で――この先、世界を襲うであろう一種の混沌を、まさか理解していないわけではないだろうに。
―――ま、しょうがないわな。
 車を降りた降矢は、ポケットから煙草を取り出して口に咥えた。
 いずれ降りてくる女上司を、さて、どういった顔で出迎えたらいいものか……。
 奇妙な寂しさを感じつつ、降矢は思わず苦笑していた。
 いや、当面の問題は、いかにしてこの遅れを取り戻すか、である。
「ま、獅堂にでも来てもらうかね」
 降矢は呟き、晴れ渡った冬空に視線を向けた。















end


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