act5  死線 



                一


 雨は、いつの間にか止んでいた。
 波高は依然として高い。
 獅堂は、悪夢の続きを見ているのだと、思った。
 腹を見せて、旋回しながら徐々に高度を落としていく、椎名のフューチャーXX機。
 その右翼から吐き出される白煙が、闇に包まれた空を淡く濁らせている。
 被弾したのが、五秒前。
 獅堂は唾を飲み込もうとして、喉がからからに渇いて、上手くいかないことに気がついた。
 舌で唇を湿らす。唇は乾ききって、ひび割れている。
「椎名さん!」
 ようやく声が出た。
 背後には、敵機二機。黒色の機体が交互に位置を変えながら、獅堂機を照準に捕らえようと、徐々に間合いを詰めつつある。
「くそっ……」
 上昇、そして、急激な右旋回。
 加速するGに、獅堂は歯を食いしばって耐えた。
 耳元でびりびりと、耳障りなノイズが響く。機体全体が、悲鳴を上げているようだ。
 椎名は、すでに一機を撃墜している。しかし、同時に背後から急接近した敵機の照準を外しきれず、右翼に被弾した。
 氷の海に、オレンジ色の火柱と黒煙をあげながら、椎名が撃墜した敵機が沈んでいく。
 すでに、青い発光体は視野から消えていた。いや、実際それどころではなかった。
「椎名さん、返事をしてくれ!」
 獅堂は再度声を張り上げた。今、椎名機がどこにいるのか、もうそれをディスプレイで確認する余裕さえない。
『自分なら大丈夫だ、獅堂、こいつはまだ生きている』
 ふいに、椎名の声が耳元で弾けた。
 獅堂はほっとする。椎名さんは無事だ。こいつ、というのは椎名の自機のことだろう。
「椎名さん、とにかくここを離脱して下さい!」
 それだけ言うのが、精一杯だった。
 一瞬でも気を抜けば、容易にロック・オンされる。獅堂は、急激な旋回、上昇、そして下降を繰り返し、かろうじて時間をかせいでいた。
 椎名なら、切り抜けられる。
 もうそれを信じるしかない。
 必死で操縦桿を切りながら、ふと針のような不安が脳裏をかすめた。
―――この状況は……。
 あの時と同じだ。
 襲ってきた機種もそうなら、椎名機がまず姿を消したのも。
 それが何か、不吉な暗示のように感じられる。
『しっ、獅堂さん!』
 その時、滝沢の悲鳴が弾け、獅堂の思考は遮られた。
「滝沢?!」
 背中が凍るような思いで、獅堂は顔を上げ、ヘッドアップディスプレイが示す、EXの位置を目視した。
 右後方上空、四十五度、高度、三千フィート。
 椎名機から離れた一機が、急速にEXに接近しつつあった。
「あの莫迦、なんでさっさと逃げないんだ!」
 迷う間はなかった。獅堂は間髪入れずに右旋回に入り、囮弾を放出した。
 囮弾はマグネシウムを高速燃焼させて、大量の赤外線を放つ。これで、後方の敵が放つ赤外線追尾式ミサイルは幻惑される。
 が、すでに滝沢のEXは、敵機の照準に納まりつつあった。
 耳元で、警報を示すレーダー音が不気味な音を立てている。
「ちくしょう……っ間に合ってくれ」
 獅堂はあえぎながら、呻いた。
 自機の赤外線シーカーが、EXに迫る敵機を捕らえようとしていた。
 背後には、以前二機が食らいついている。しかし、もうそれに目をやる余裕はない。繰り返し、囮弾を発射する。
 シーカーが敵機を感知し、ロックオンが完了すれば、後はミサイルを打ち込むだけだ。
―――撃てるのか?
 一瞬、指先が強張った。
 あの日の、悪夢。
 殺すか、殺されるか。
 延長線上に見えていたのは――同胞を、自分と同じ生を授かった人類という同胞を、己の手にかけるということ。
 その虚無感と、罪悪感。
 しかし、迷ったのは――いや、実際には何万分の一秒ものロスもなかった。
 ロック・オン完了。
 その合図とともに、獅堂は、右手の親指で握り込んでいた発射スイッチを押し込んだ。
 一度。
 二度。
 右翼を焦がしながら、ミサイルがEXを通過し、その背後の敵機のテイルパイプに激突し、炸裂する。
 胴体の半分を吹っ飛ばされたユーロ・フューチャーが、ばらばらになって海上に飛び散った。
「滝沢、さっさと離脱しろ!」
 獅堂は叫んだ。その声と、
『獅堂、後ろだ!』
 椎名の声が被さる。悲痛な怒声は、紛れもない獅堂自身の失策を示していた。
 獅堂は振り返った。
 背後から、覆い被さるように敵機二機が、黒い腹を見せて接近しつつあった。


                   二


『こちら、名波。現場海域の磁場が異常に乱れています。緊急回線の確保をお願いします』
「スカイキャリア、了解」
 鷹宮はリップマイクを口元から話した。
 大型輸送機co−2x、通称名スカイキャリアのコックピットである。
 鷹宮は指令官席に座り、三輪・ロバートが操縦桿を握っていた。
「松永、現在使用中の回線は、どのくらい持つ」
「獅堂機、椎名機が消息を絶ったポイントまで、あと一分。そこが、限界でしょう」
 背後のシートから、松永の冷静な声が即座に答えてくれた。
「フューチャー同士の緊急回線は確保できても、オデッセイとの交信は困難かもしれません。交信が途絶えた三機とも、それぞれ緊急回線は開いていると思われますが、ベースとは通信できない状況ですから」
「………」
 指を口元に持っていき、鷹宮はしばらく黙考した。
 その傍らに歩み寄り、松永が苦い口調で呟いた。
「あの海域を、特殊なフィールドが包み込んでいるような……どうもそんな感じですね」
「発信源は……、あの、青い発光体か」
 強力な妨害電波。その真意は何だろう。いずれにせよ、そこに、大掛かりな組織の力が関与していることは間違いない。
「緊急回線、開きマシタ」
 パネルを操作していたロバートが、そう言って、スイッチを切り替えた。
 鷹宮はキャノピーに映る、暗い海に目を凝らした。
 まだ、肉視では何も確認することはできない。むろん、レーダーには、機影は一機も映っていない。
 荒れた海は、波を撒き散らし、流氷が木の葉のように舞っている。
―――こんな、海で……。
 思わず眉根を寄せていた。
 この荒れ狂う海上で、あの三人は消息を絶ったというのだろうか。
 繋がった回線から、無機質なノイズが流れ出す。鷹宮はリップマイクを引き寄せた。
「こちらスカイキャリア、椎名、獅堂、滝沢、応答願います」
 応答はない。祈るような思いで、繰り返す。
「椎名、獅堂、……応答してくれ」
 返事はない。
「どうします、もう少し近づいてみますか」
 松永がそう言った時、
『――鷹宮っ…、獅堂が……!』
 ノイズとともに、切迫した声が、ヘッドフォンに飛び込んできた。
「椎名さん」
 鷹宮は、はっとして、計器板の上に両手をついた。
「椎名さん、今何処に居るんです、獅堂さんは、」
『鷹宮、獅堂機は撃墜された』
「…………」
 息を呑み、鷹宮は込み上げてくる動揺を抑えた。
「……撃墜、」
 隣に立つ松永が、呆然と呟く。
『現在、ポイント6561、国籍不明機四機と応戦中。至急援護を頼む。滝沢が危ない』
「青雲、白虎、ポイント6561へ急行」
 鷹宮は努めて冷静な声で言った。
「交戦規則ファイブ。ただちに迎撃に備え、各自スタンバイ。これから要撃ミッションに移る」
『こちら青雲、相原、了解』
『白虎、名波、了解』
 後方支援機である、大和と、北條からも、了解の合図が入る。
 椎名と鷹宮の会話は、同時に同回線を使用している全ての各機に伝わっている。全員の声が、硬く緊張し、相原のそれは、あきらかに動揺して震えていた。
 獅堂が、撃墜された。
 それは計り知れない衝撃と、対人戦の過酷な現実を、全員の脳髄に焼き付けていた。
 ガリガリというノイズの後、荒い息とともに、椎名の声が、再び届いた。
『自分の機は大丈夫だ、自分より先に、滝沢のEXを援護してくれ。それから、獅堂を』
 椎名は、今どのような状況にあるのだろう。
 声がひどく逼迫していて、少しの余裕も感じられない。
「鷹宮さん、ディスカバリーの出撃許可を。海上に降下し、獅堂リーダーの捜索に向かいます」
 松永の声。
 鷹宮は頷き、松永とロバートが同時に立ち上がる。
 その駆けて行く背中を見ながら、鷹宮は初めてかすかな呻き声をあげた。
 できるなら、この手で、この命を賭けて。
 あの人を――救いたい。
 それができるのなら、他には何もいらないというのに。
 その時キャノピー越しに、一際鋭い閃光が走った。
 それが、攻撃開始の合図だった。
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