「おおお、誠治ッ、誠治、馬鹿野郎、なんだってこんな真似をした。なんで俺に一言いってくれなかったんだッ」
 大きな背中を震わせてむせび泣く男を、水南はぼんやりと見つめていた。
 男の前に横たわっている人は、つい数分前まで確かにまだ生きていた。生きて、水南を見て笑っていた。
 今はゆすられても、頬を叩かれても微動だにしない。
 ――死んだ……
 虚ろな目を自分の膝に向けると、そこにも、まるで眠っているような男の死に顔がある。
 子どものようにあどけない――初めて見た時と同じような顔がある。
 血で粘りついたその人の髪を、水南は指ですいてやった。
「……どうして……」
 どうして私なんかを助けたの。
 どうしてそのために、こんなに人が死なないといけなかったの。
 これは夢だろうか。
 いや、紛れも無く現実なのだ。
 これまで生きてきた中で目にした、最悪の現実。
「だめだ、こっちももう息がねぇ」
「兄貴、嘘だ、兄貴、目を覚ましてくれぇ!」
「息がある奴は、急いで外に運び出せ。サツにもってかれから大変なことになるぞ」
 慌ただしく駆けまわる男たち、血と硝煙と金属の匂い。
「おやっさん、サツが来る前に、早いとこ撤収しましょう」
 そう促され、それまで背中を丸めて泣いていた男がようやくのろのろと顔をあげる。
 短く刈り上げたごま塩頭。スーツの上からでも判る、鍛えぬかれたたくましい身体。
 黒目が極端に少ない瞳を真っ赤にさせた男は、その目を静かに水南に向けた。
「……あんたかい、後藤のお嬢さんってのは」
 水南は黙って男を見上げた。
 宮田始。
 もう何年も前からこの男のことをよく知っているのに、顔を見るのはこれが初めてなのだと思うと不思議な気分になる。
 その宮田の前に、まだ若そうな別の男が飛び込んでくる。その顔は涙で濡れてぐしゃぐしゃになっている。
「おやっさん、この女のせいで、烏堂の兄貴は死んだんです。――そもそもこの女が全ての元凶なんだ。ただじゃおけねぇ、絶対に許しちゃおけねぇ」
「どけ!」
 宮田は、むしろ荒々しくその若者を押しのけると、座り込む水南の前に歩み寄ってきた。
「……一哉」
 凶暴な目が、水南の膝の上で眠る男にとまり、それがみるみる優しくなる。
「そうかい。誠治が匿っているのは判っていたが、……生きていたのかい。そいつはよかった」
 筋張った手で一哉の髪をそっと撫でると、宮田は水南に視線を戻した。
「あんたのことは、おやじさんから頼まれている」
「………………」
「だからといって、それじゃあ済まされないことを、あんたはした。大方の事情は知っているし、関係した奴らにはきっちり報復するつもりでいる。だがな、その上で、俺はあんたを――ここから逃してやろうと思っている」
 水南は微かに肩を震わせた。膝の上に抱いている人が、その刹那確かに動いたような気がしたからだ。
 が、それは錯覚だったのか、死後の人が見せる肉体の反応だったのか、一哉の青白い顔には先ほど同じ角度で長いまつ毛の影が落ちているだけだった。
(天使……)
 死に際の、子どものような呟きが不意に胸にこみあげてきて、水南は無意識に涙を流していた。
 私は天使じゃない。
 もっと早く教えてあげればよかった。
 私は――天使なんかじゃない。
「ただひとつだけ、頼みがある。あんたには――耐え難いことだろうが、どうしてもきいて欲しい頼みがある」
 ひどく遠くから聞こえる宮田の声に、誰かの怒声が被さった。
 それらの全てを、水南はぼんやりと聞いていた。そして考えていた。
 どうして自分は生きているのだろう――どうして……
 なんのために。

 
 
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