主よ、あなたを愛するのは、あなたが天国を約束されたからではありません。
あなたに背かないのは、地獄が恐ろしいからではありません。

















序章「 House of cards」







 怖い、怖い、怖い。
「ほら、見ろ、見ろ! よく見てみろ!」
 痛い、痛い、痛い。
「これがお前だ、お前の姿だ。お前がいくら綺麗な面をしていようと、これがお前の成れの果てだ」
 やめて、やめて、やめて、やめて。
 掴まれた髪が、ぶつぶつと引きちぎれる音がした。
 床で擦れた膝の皮が擦り剥ける。それでも容赦なく引きずられる。
 首を振って逃げようとした顔を、ぐい、と前に突出された。
 薄闇の中で、黒い塊が呻いている。
 病気の犬を思わせる荒い呼吸。鼻がねじられるようなアンモニア臭。その強烈な汚臭に混じって得体の知れない腐臭がした。湿った冷たい土の臭い――死の臭いだ。
「よぉーく見ろ」
 耳元で酒臭いだみ声が囁いた。
「自分の面がそれほど自慢か。自分が人より優れているのがそんなに自慢か。だったら見ろ、よぉーっく見ろ。これがお前の、未来の、姿だ」
 闇の中、燐光をまとったような黄色い目が、まっすぐにこちらを見つめている。
 あれは、人……? そう、人だ。考えるまでもない、よく知っているあの人だ。
 その息遣いはますます荒く、激しくなる。むき出しになった歯の隙間から、だらだらと濁った涎が滴り落ちる。
 喋っている……いや、声は出ていない。懸命に唇を動かし、黒ずんだ舌を精一杯つきだして、何かの言葉を口にしようとしている。
「――ヒィ――ヒィ―――ヒィ、ファ」
「どうしてこんな風になったか判るか」
 髪を鷲掴みにされた痛みで、我に返った。再び、酒臭い息が顔前に吐出される。
「俺を馬鹿にしたからだ。俺を裏切っていたからだ。天の報いだ。因果応報だ。そしてお前もこうなるんだ。いつもいつも俺を馬鹿にしやがって――その目だ、その目で、二度と、俺を見るなッ」
 床が急速に迫り、暗くなった視野で何度も火花が弾けた。
「この……、小生意気な、クソ、ガキがッ」
 一瞬意識が途切れた後、鼻孔から溢れ出た生ぬるい液体の感触で我に返る。
「旦那様っ、後生ですからもうおやめくださいませっ」
「黙れッ、俺に口出しするなッ」
 飛び出してきた志都が足蹴りにされた。壁まで蹴り飛ばされた女は、腹を押さえて咳き込んでいる。
「いいか、よく聞け」
 歪んだ醜い顔が目の前にあった。
「お前もああなりたくなければ、俺の言うことを聞け。二度と俺に逆らうな。二度と俺をそんな目で見るな。いいか、お前はな――――」

 
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この物語はフィクションです。