「お前を助けよう、気高き王よ」 > 伝説に聞く、悪しき魔女の声はしわがれていた。 > 「その代わり、お前は私の娘を后にしなければいけないよ。偉大なるダイノアスの王、バイロンよ、その婚姻と引き換えに、お前をこの死の森から出してやろう――」 童話の中の水晶の城に、月の雫のような姫がいた。 姫の名は、リージア。 月に護られ星に愛された美しい娘。 ? ? ◇ ◇ ◇ ? ? 「リージア」 自分の名を呼ぶ兄の声音に、リージアは、弾かれたように顔を上げた。 「お兄様……」 そのか細い声を聞きとがめ、兄の笑顔がわずかに曇る。 「……どうした、リージア。ひどく悲しそうな顔をして」 優しい声。きれいな眼差しと穏やかな笑顔。 妹は――苦しい切なさを秘めて、近寄ってくる兄を見上げる。 六つ年上の兄、フィエルテ。 絹のような黒髪に、深海の瞳を持つ男。 「だって……お父様が、まだお戻りにならないから」 母親を早くに亡くし、子を省みない厳格な父に育てられた兄妹は、そのせいか、魂の底から強く、しっかりと結びついていた。 月の娘リージア姫と、太陽の息子フェエルテ王子。 このダイノアス国で誰からも愛される二人の兄妹は、手のひらを合わせて、見つめあう。 それが、子供の頃からの二人の挨拶。 「大丈夫、父上は、きっとご無事で戻られるよ」 兄の声は風の調べ。その微笑は春の安らぎ。 「本当かしら……こんなに長くお戻りにならないなんて、お父様に何かあったのではないかしら……」 リージアは兄の胸にもたれ、その端正な、美しい顔をそっと見上げた。 隣国ガーディアで行われた、新王即位の継承式。 式に招かれた父――この国を統べる偉大なる王、バイロンは、帰郷する予定が過ぎても、いまだ便りひとつ寄越さないのだ。 「本当だよ、リージア、きっと、お前に沢山のお土産を持って帰ってくるから」 やさしく肩を抱いてくれる腕の温み。 リージアは目を閉じた。 この一時が、今日の永遠になりますようにと。 「あなた……?フィエルテ?どこなの……?」 宮殿の方から、兄の名を呼ぶ声がする。 フィエルテの妻、アイルの声。 隣国の王室から嫁いで来たのが半年前。わがままで勝気な女。美しい黒髪と、陽気な笑顔を持つ女。 少しだけ戸惑ったように、フィエルテの顔が声のする方に向けられる。 「……アイル?……どうしたんだろう、珍しく怖い顔をしているが」 きれいな眉をわずかに寄せて、 そして――兄の手は、あっさりとリージアの肩を離れていった。 ――お兄様……。 ・ ・ リージアは、兄のフィエルテを愛していた。 そう、誰よりも、天の高みよりも地の深さよりも。 それが――どれだけ浅ましく、そして、永久に叶わない願いであっても。 ・ ・ 「リージア、大変だ」 けれどフィエルテは、その妻の手を引いて、すぐに掛け戻ってきた。 滅多に表情を崩さない優しい顔が、蒼白なものに転じている。 「すぐにこの城を出なければいけない、フォーレーンの魔女が、私たちを探している」 その意味が判らず、リージアは立ちすくむ。 フィエルテは駆け寄って、焦れたように妹の肩を抱きすくめた。 「リージア、お父様は魔女の娘と結婚したのだ」 ――魔女の……娘……? 「今、急ぎの手紙が届いたの、リージア、私たちは、逃げなければいけないわ」 アイルの声は、すでに悲鳴に近かった。 ・ ・ フォーレーンの魔女。 伝説の魔女。 フォーレーンと呼ばれる森に棲む、生まれつき眼を持たぬ老いた女。 たくさんの娘を持ち、森に迷い込んで来た男を捕らえては、愛する娘の夫にする。 もし男に妻がいたら、フォーレーンの魔女は妻を呪う。 もし男に子供がいたら、フォーレーンの魔女は子供を呪う。 永久に解けぬ呪術を用い、妻子を人の世界から追放するのだ。 魔女は娘を愛しているから。 そう、それがどんなに浅ましい思いでも、天の高みより地の深さよりも―――。 |
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