■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ エピローグ |
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大きな腕で抱き締められる。 暖かな温みと独特の香り。 志野は広い胸にもたれて目を閉じた。 あまりにも幸せで穏やかな生活。 このような日々が、これからずっと続くのだということが――、今でも志野には、自分にはもったいない、分不相応な気がしてしまう。 けれど、同時に知ってもいる。 二人は今、人生という苦難の旅の、ほんの入口に立ったばかりだ。 時代は、まだまだよくはならない。 誰もが見えない夜明けを目指し、必死に生きている時代。 「皆が集まるなら、なにかと準備が大変だろう」 髪を撫でながら、雅流が優しく囁いた。 「午後まで、何もしなくていい。このまま……、時間まで俺と一緒にこうしていよう」 「まぁ、そういうわけには参りません」 即座に志野は顔を上げた。 「これから出稽古なのに、お腹の虫にでも泣かれたら私の恥です。お出かけの前に、何か少しでも口にされませんと」 「それを現実家だというんだ」 雅流は、少しむっとした表情になる。 「俺が今、どういう気持ちか判るのか。こんな日に、昼食などどうでもいいじゃないか」 「どうでもよくありませんわ」 「いや、どうでもいいさ」 「そんな、子どものようなことを……」 あまりにも雅流の表情が頑ななので、志野は思わず微笑していた。 愛しいと、志野は思った。 私は……この人が、愛おしい。 ようやく照れたように、雅流は志野を解放して立ち上がる。 「まぁ、確かに腹がすいたな」 「すぐに支度をします、待っていてください」 志野は立ち上がり、廊下に出た。 開け放たれた縁側から、魚屋の掛け声が聞こえてくる。 やがてそれに、静かな三味線の音色が重なった。 (まぁ、どちらが、現実家なのかしら) 苦笑した志野は目を閉じ、そっと腹部に手を当てる。 やがて父親になる人の奏でる調べに耳を澄ませる。 暗い時代は、まだ本当の意味では終わってはいない。 けれど、未来に何が起ころうと、恐れる必要は何もない。 この先の人生が決して一人ではないことを、志野はもう知っていた。 (終) |
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